川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

その他

腹八分目

1月3日、閑散とした湯島聖堂大成殿(孔子廟)。ここは神社ではなく史跡らしいから、まあそうよね。一方、神田明神は蛇行する列に並んだが、40分くらいで参拝できた。ただ、風の強さ冷たさは先日の東武動物公園に勝るとも劣らないもので、Hさんも洟を垂らして…

アパートの姿見

出がけに「晚上不用收进来啊(夜、取り込まなくていいから)」と言われたので、洗濯した衣服が乾ききらないとかなんとなくそういう意味に受け取ったのだが、昼飯を食べに帰った時ベランダをみると、肉が天日干しされていた。地面には中文の新聞が敷いてあり…

23

ペパーミントグリーンの自転車。その隣りのピンクのサドルの子供用は小学校低学年のおデブちゃんが乗っている。 白いチェスト上のリカちゃん。母親からHさんへのプレゼント。子供扱いしているような少し奇妙な感じを受けるが、母親曰く、Hさんに似ているから…

二月堂

2017年1月21日、奈良東大寺二月堂。Hさんの「回家過年(ホイジャーグオニェン)」のあいだ、高畑町にある志賀直哉旧居を見に行った。その時にここも行ったのだな。正直、神社仏閣に対する興味は薄いのだが、ここは見る価値のある建物だった。丘陵地に建って…

白いチェスト

Hさんの朋友が神田に借りていた部屋を引き払って、米国に住む老公のもとに行くという。というか部屋には家財が一通り残されたまま、軀はすでに米国にあるのだ。朋友曰く、使うものがあったら好きなだけ持っていって。Hさんは嬉々として神田のマンションに向…

下関、萩

2009年4月17日、下関、人口28万(当時)。この時は一生に一度くらい萩を見ておくかという気持ちで、小倉まで新幹線で行き、下関に戻ってちょっと観光してから日本海沿いを時計廻りに萩に向かったのだった。サムネイルでぱっと見て、もう西日本という感じがあ…

船橋の人口は63万

天気が良かったのでドライブ。朝食は千葉東金道路の野呂パーキングエリアで舞茸ラーメンを食べて済まし、ホキ美術館へ。鑑賞者はまばらでゆっくり見られた。写実絵画というのはどうもあんまり人気がないようだ。この美術館は建築を体感するだけでも価値があ…

神戸

2012年5月4日、神戸ポートピアホテルより三宮・六甲方面を望む。 神戸には今でも母方の祖母が住んでいる。幼少の頃より長い休みのたんびに新幹線で会いに行ったものだ。当時の運転車輛は団子鼻のやつである。祖母もおんとし90歳。ついにひとり暮らしは無理と…

東京の東

西新井駅のファサードは白壁に錆が垂れている。かなり目立つので、多少きれいにしても良さそうなものだが、みんなあまり気にしていないのかも知れない。気安い街なのだ。 北千住駅も同じ足立区にあるが、このターミナルだけやたらソフィスティケイトされて、…

勤労感謝の日

午後、雨上がり。思いつきで三ノ輪橋から東池袋四丁目まで都電荒川線に乗る。数百メーター置きに停留場があるので、数で25個くらい。 この路面電車が最近「東京さくらトラム」などというしょうもない名前で呼ばれていることを知る。王子で車窓からサンスクエ…

様々な青。

青い奔流の中のサンタクロースたち。 倉敷ガラスの青。 鳥羽の港の青。 明智小五郎事務所の青(「江戸川乱歩の美女シリーズ」より)。 田沢湖の青。 冷凍シーラカンスの青。 大谷資料館の青。 アクアマリンふくしまの大水槽の青。

到着ロビー

午後9時。Hさんを迎えに成田空港第1旅客ターミナルへ。案内板をみるとちょっと遅れているようだ。モップで床を拭くおばちゃんが行ったり来たりしており、周囲は閑散としている。それでも到着ロビーで待っているあいだは一種独特の落ち着かなさがある。逆にこ…

壁画とサブウェイ

2008年3月10日、秋葉原富士ソフトビル。もう何年もこの場所には行っていないが、ある時期よく行っていた。4階分くらいの吹き抜けの空間に、タイルの巨大なモザイク壁画が貼られている。椰子の木の陰からジャガーが顔を覗かすこれは部分で、吹き抜け回廊の大…

旭川

父親と私のふたりで旅した最後が2006年10月の国師ヶ岳ということを先日書いたが、では、母親とふたりきりで旅をした最後は、と調べてみるとこれがやはり2006年3月のことだった。旭川である。 なぜ旭川に行ったかの理由は明確に憶えていて、今ではさほど珍し…

鉄砲階段

屋根の上に据え付けられたベランダから。この外階段が本当に恐怖なのは雨の日だ。濡れた踏み板が滑る手摺りが滑る自身の靴底が滑る。居住者は何度も途中から落ちたと語る。この写真の位置から落下すれば大怪我か或いは打ち所が悪ければ絶命するかも知れない…

埠頭

2011年1月4日、神戸市垂水区舞子。淡路の島影がぼんやり見える。

変哲もない話。

いよいよ晩秋といった趣きで、日中ぽかぽか陽気の日でも、朝晩は冷え込む。街路を行き交う人々の中にも外套を纏う人がちらほら出てきた。 私は寒さにはわりかし強い方で、まだ外套の類は着ていない。あとしばらくはこのままブレザーでいけそうだ。友人にもひ…

昭和大箱喫茶

改札の中にあるドトールコーヒーのテラス席。北千住駅東口(電大口)を臨む。初めて利用したが、その存在はだいぶ前から知っていた。なぜ利用しなかったかといえば、北千住に降り立てば常に、東口目の前の昭和大箱喫茶サンローゼに行っていたから。あの伝説…

木枯らし1号

2010年4月30日、両国江戸東京博物館。帝都の摩天楼、浅草十二階(凌雲閣)。1890年11月開業。高さ66.7m(又は52ⅿ)。煉瓦造りで、8階まで日本初の電動式エレヴェーター(エレベートル)が設置される。関東大震災により上層部分が崩壊したため、のちに爆破解…

神池

2008年10月13日、静岡県沼津市大瀬明神の神池。10年も前のことなので行った記憶も曖昧なのだが、写真に残っているのだから間違いない。 「伊豆七不思議の一つ」と言われ、海のすぐそばにあるにもかかわらず淡水の池である。神の池であるからして、みだりに人…

備中松山

2012年1月8日、備中松山城。「標高430メートルの臥牛山山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある」(Wikipediaより)。ここから望む山並みは幕末の頃と変っていないだろう。私は城について詳しくないし、関心も薄いのだが、河井継之助が備中…

风一下

しっかしよく降るなあ。今日もコインランドリーの世話になる。「フォンイーシャ」とHさんは言って、さっさと仕事に行ってしまう。フォンは「风」だろうか。でも動詞にもなるのかなと思って調べると、「風で乾かす」という動詞の使い方があった。 例の民家1階…

博物館にて

2015年8月8日、上野国立科学博物館地球館3階大型哺乳類剥製標本群。あの夏、私は中国語教室で知り合った友人Jと上野の森を駆け抜けた。 余暇は常に雪駄を履き慣らしているJと館内を巡りながら写真を撮り合い、剽軽な彼はそのたびに珍妙なポーズをとった。…

熱海

2012年6月23日、熱海。業界青年会の旅行で行ったのだった。夜遊びした帰り、タクシーもつかまらず、真っ暗な海沿いの車道をKとジョギングしながらホテルまでたどり着いた。後ろから来るクルマのヘッドライトの眩さに慄きながら。

浜松、ビンソン

ついでに寄ればいいやという気持ちで来た中田島砂丘が意外に良かった。これは私の心理が作用している。つまり、掛川でさわやか、花鳥園を諦めて車中でぶーぶー言って機嫌を損ねたまま海辺(かいへん)にたどり着いた。だだっ広い砂浜を歩いていく。向こうか…

キウイ狩り

8日、掛川、キウイフルーツカントリー。さまざまな果物狩りがあるなかで、キウイ狩りというのはあまり聞かない。なぜかというと、キウイは狩ったその場で食えないから。ビニルハウスで熟したやつを食った後、キウイ畑でHさんが狩りまくる。私はいたるところ…

奈良のモダニズム

今年1月21日、奈良市高畑町、志賀直哉旧居(高畑サロン)。この時なぜ私ひとりで奈良を旅しているんだろうと思ったら、Hさんが春節を実家で過ごす(回家过年)ために帰国していたんだな。 さて、春日の杜に程近い閑静な屋敷町、趣きのある古びた土塀に囲ま…

倚松庵

2012年5月5日、神戸市東灘区、倚松庵。谷崎潤一郎が『細雪』を書いた家として知られる。谷崎はここに1936年(昭11)から1943年(昭18)まで居住した。ただ、実際には当時倚松庵は150m離れた場所に建っており、六甲ライナーの建設に伴い、1990年に現在のこの…

曲げ反り流木

稚内市浜勇知海岸。曲げ反った流木に打ちつけられた板に掠れた字で日本海と書かれている。晴れていれば風光明媚なのだろうが、曇っているとどこにこんな寂しい風景があるのだろう、と萩原朔太郎っぽく言いたくなる。稚内といえば宗谷海峡やオホーツク海のイ…

ワニとプロペラと私

2013年8月16、17日。北大「巨大ワニと恐竜の世界」展。記念に売店でワニと恐竜がいくらか可愛らしくデザインされた焦げ茶のTシャツを買った。今では肥ってしまい着られないが、とってはある。 北越戦争で薩長の軍門に降った長岡藩士は散り散りになったが、…