2012年1月8日、備中松山城。「標高430メートルの臥牛山山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある」(Wikipediaより)。ここから望む山並みは幕末の頃と変っていないだろう。私は城について詳しくないし、関心も薄いのだが、河井継之助が備中松山藩の山田方谷に実践的な藩政改革を学びに来たので、ゆかりの地を巡ってみたくなったのだ。
現在の行政区分では岡山県高梁市。駅員やタクシー運転手、地元の人が喋っているのを聞いて、だいぶ広島寄りの言葉だなと思った。道すがら発見したロシア文学者米川正夫生誕の地。なんとなくロシア文学の文庫本コーナーなどで見る名前だ。1891年、高梁町の質屋の四男に生まれた。生涯にわたりドストエーフスキイを中心に、トルストイ並びに19、20世紀ロシア・ソビエト文学を翻訳しつづけたロシア文学翻訳界の巨人だそうである。
もうひとり、漫画『ドーベルマン刑事』や『ブラック・エンジェルズ』、『マーダーライセンス牙』の作者平松伸二も高梁の出身である。高梁高校1年生の時に描いた作品が週刊少年ジャンプに載ってデビューしたというから早熟の才能である。