川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

或る中国語学習者

f:id:guangtailang:20240412094646j:image2月だから今年の遅い、中国語サークルの新年会の席(浅草の中国料理店)で、どんな話の流れだったろう、Tさんが唐突に「親父とは二度と会いたくないからね」と呟いた。そこから彼の身の上話を聞くことになる。

Tさん自身すでに70半ばに達しようとしているから、彼の父親はとうに鬼籍に入っている。母親ももういない。今、独り江東区のもう閉めてしまった自動車修理工場の上に住まっている。彼の父親は暴君で、すぐ烈火のごとく怒り出し、家族を苦しめ、痛めつけてきたのだという。Tさんも弟妹も逆らったことがない。長年の恐怖による訓育で、逆らいようもなかったと。すでに紹興酒で顔を赤らめながら、僕の親父はいわゆる団塊の世代で、僕はほぼ団塊ジュニア。この世代の親子関係でそのような暴君は聞いたことがないと思った。僕の親父世代が父親になる1970年代の映画(ロマンポルノも含め)を趣味でたくさん見てきたが、そのような暴君が描かれていた記憶もなかった。地方都市を舞台にした映画でわずかにあったかも知れない。

Tさんは当然に自らの意志が受け入れられず、大学も父親の言いつけ通り機械工学科に進んだ。彼の母親も息子のことで夫に意見することはできなかった。彼の父親は外面がよく、家族に見せる顔とのあまりの違いにTさんは戸惑った。反面教師とするに十分な人格だろう。後年、家庭内を怒りにより支配してきた暴君は高齢により介護が必要になった。そして彼の母親も介護が必要になり、Tさんは自宅でふたりの世話をするのに10数年を費やしたと語る。その間、中国語学習が満足にできず、長いブランクがあるのだとも。

Tさんと僕は現在のサークルに入会する前に、別の同じ中国語サークルに少し籍を置いていたことがある。時期はずれるが、メンバーをほぼ一緒で、彼は「彼らと一緒にやっていると変な影響受けちゃいそうでね」と言った。おー、歯に衣着せぬ物言いだと思ったが、考えてみると僕がそのサークルを辞めた理由もそれであるような気がした。間違っていない。生涯学習としての中国語だから、各自で語学への気概をみせるより、同好の士で和気藹々というのは勿論ありだが、中国語の命である発音(ピンインと声調)を疎かにし、老師もそれを甘受し、平然と進行する授業には僕らは合わなかった。

現在のサークルでも、中国語を学び始めたばかりのOさんに対しTさんが「辞めてもらえないか」と言ったという挿話がある。どういうシチュエーションでの出来事か、さすがに話に尾鰭がついているんじゃないか、まだいなかった僕には定かではないのだが、吃驚する。しかし、Oさんは「いえ、わたしは辞めません!」ときっぱり断った。Oさんは努力の人で、テキストを丸暗記するほど予習し、基本欠席もせず、大いなる気概をみせている。Tさんも今では彼女のたゆまず努力する姿とその上達ぶりに敬意を表し、授業中「すごいな」と呟くことも一度や二度ではない(彼と僕は席が隣り同士)。

Tさんはいくつかの中国サークルに行っているようだ。自転車やバスを駆使して、1時間半かかる場所でも通っている。その他にオンライン授業で、ハルピンと台湾と、あとどこかの人に習っていると聞いた。だから、普通話や地方の口音(訛り)などについて雑談することもある。そういえば、Tさんは昔からスキーをやっており、父母の介護の時期にも日帰りで越後湯沢に滑りに行っていたらしい。今年も滑りに行き、その足で授業に出たことがあった。駅で中国人を捉まえ、その日課題の短い作文(造句)の語法が適切かどうか確認した。

この人の中国語への愛は間違いがない、と思って仲良くさせてもらっている。