川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

マンスリーで人生はステップアップするもの

f:id:guangtailang:20240311131535j:image火曜、雨の夜。飄逸に歩を進めるFさん。この人が中国語学習会のコアになっているから25年もつづいているのだ。馴染みの店で紹興酒をちびちびやりながら、「途中で何年か九州に飛ばされとるじゃろ?」と古参の会員に同意を求めるFさん。「どうしてですか?」と僕が問うと、「そりゃ、人望がないから厄介払いされて」とにやにやしながら言う。仕事の都合で向こうに行っていたそうだ。天文館のまな板ショーに彼が出演したのはまた別の機会だったか。「勇気ですね」と言えば、「広島の人はみんなそうなんよ」。そんなわけがない。僕のルーツも広島にあるのをFさんも知っているからそう告げると、「そうかね」とまたにやにや。

f:id:guangtailang:20240311131528j:image今日で東日本大震災から13年目。Hさんが上海から東京に来たのが震災の起こる少し前だった。前にも書いた気がするが、未曽有の災害状況が徐々に明らかになってくると、彼女は慄き、浙江省の身内はみんな帰ってこいの大合唱だった。しかし、当時彼女は退路を断つ決断の末にこっちに来ていたから、残った。それがもしなければ、Hさんと僕は出会っていない。そのことを折に触れて考える。

当時、僕は北千住の変なかたち(間取り)をしたワンルームマンションに住んでいた。7階の部屋。隣りに住んでいたのが中国人(のたぶん男)だった。ある朝、廊下で男女の言い争う声が聞こえ、その後何か家具を解体しているような激しい物音が聞こえてきた。当時の僕は中国語をほとんど喋れなかったと思うが、それでも廊下で発せられているのが中国語だということはわかった。

それから数日経って、朝、マンション1階のごみ集積所に寄ると、その片隅に壊された家具類が乱雑に置かれていた。ちょうどマンションの管理人がいて、彼は感じが良かったから二言三言会話する仲だったが、僕に目配せして、「ひどいですよねえ」と言った。粗大ごみのステッカーも何もないのだった。とにかく一刻も早く解体して、取るものも取りあえず退去したといった体である。このことをHさんが残ったことと同時に思い出す。

f:id:guangtailang:20240311131532j:image別に名作や傑作、佳作でもないだろうが、僕の偏愛する映画。藤田敏八ぽさが横溢している。日本の1970年代初頭の空気感をあますところなく伝えているという意味では観るべき映画だと思う。北関東温泉街(水上)での白黒ショー有り。

f:id:guangtailang:20240311131523j:imageMとの関係はちょうど丸3年で終焉を迎えた。また、神戸の祖母の家はついに買い手が見つかり、今月14日が残金決済だ。買い手がHさんの姓と同じ中国人だという。年季の入った家とはいえ、東京の不動産と比べるとその安さに驚く。しかし、その値段でないと売れなかった。当初、地元の不動産屋を何軒かあたったらしいが、一様に同じような査定だった。そこからさらに安くなった。

僕も今月で48になるから、人生一区切りということで、さらなる階梯を上りたい。

だってそうじゃん マンスリーで人生はステップアップするもの(岡村靖幸