川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

ボタンを買いに(再)

年をまたいで再度ボタンを買いにいった。中古で手に入れた黒のカシミヤジャケットが家にある。これがプラスチックのボタンまで黒で、全体に真っ黒だ。これを変えたかった。

f:id:guangtailang:20240108180434j:image着物姿の若人が散見される雑踏。三宅唱『ケイコ 目を澄ませて』(2022)やヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』(2023)にも映されたこの街。今日は風が少し冷たい。東京育ちとはいえ、この都市は誰にとっても広過ぎる。僕の東京はといえば、上記ふたつの映画に映っている。当然のように隅田川やそこに架かる橋が映る。正直他の東京はあまりよく知らない。

僕が入店すると、奥に座っていた悠揚迫らぬ老翁が腰を上げる。早速紙袋からジャケットを取り出し、今回の要望を告げる。ボタンを何か赤いようなものに変えたい。老翁は意外な早さで「じゃあ、メタルボタンなんかどうかねえ」と提案してくれる。これ、と目の前のガラスケースから出した上記写真のものを二、三個手渡された。ひろげたジャケットに合わせてみると実に恰好良くハマった。が、一瞥した値札は1個でもかなりのお値段だ。大小合計11個。電卓をはじていてもらうと明らかに予算をオーバーしていたので正直にそう言ったが、その時点で僕はどうしてもこのレトロで洒落た臙脂ボタンをつけたくなっていた。「今持ち合わせがないので、その辺りですぐお金降ろしてきます。ちょっと待っててください」「はいはい。せっかくいいの買ってもらうんだから2,000円おまけしようかね」「ああ、それはどうも。どうも」。ジャケットと紙袋をそのままに雑踏に出ていった。

結局、戻って支払う段になるとさらに1,000円まけてくれた。こうなってくると、家のクローゼットをもう一度点検し、ムリにでもボタンを変えるジャケットを見つけなくてはならないか。

f:id:guangtailang:20240108180448j:image松葉杖のHさんと、蒲田で入ってよかったレストランが北千住にもできたので、休日の午前11時少し前に行ってみた。予約はしなかった。自宅からドアトゥドアで1時間、それでも彼女がもう歩いて来られるのだからとポジティブに。

入口のところにウェイティングボードがあったが、誰も記名していない。皆ぐるりと置かれた椅子に座って待っている様子だったので、それに従う。前に3、4組ほどだろうか。11時02分になって様子を見に立つと、予約客が先に入店していた。それは当然だ。ところが、明らかにあとから来てボードに記名した客らがそれにつづいた。「なんだ、やっぱり書くのか」と言っている声が聞こえる。僕らの前の前の小さい子を連れたベージュのコートの中年女性は詰問調で店員の若い女性に迫っている。座って待っていた客は皆、たぶん同じことを考えているし、言いたいのだ。ウェイティングボードがただあるだけで、記名してお待ちくださいとも何とも書かれていないし、店の人間からそういうアナウンスもない。座って待っている客が何組も見えているのだから、これは明らかに店の不手際だろう、と。店の女性の謝罪の声は異様に小さかった。

僕らが男性の若い店員から案内されたテーブルは奥の2人用だった。Hさんが左脚を伸ばした状態じゃないと座れないので、近くにいた女性店員に「彼女が今足が悪くてここだとちょっと不便なんで、別のテーブルでもいいですか」と言うと、はいと小さな声。開店したばかりなので吹き抜けに面した予約席を除いても空席はいくらもありそうだった。Hさんとここ、それともあそこと話す。「どこならいいですかね?」と一応訊くと、「どこならいいんですか?」と店員。いや、これは店員がイニシアチブとるところだろう。結果、ブレッド置場のそばの4人用テーブルに案内された。蒲田ならできたてのブレッドをテーブルまで持ってきてくれるのだが、ここのは置場にすでに盛られているので冷めていた。また、カフェラテを飲もうとドリンクバーに赴けば、フランケのコーヒー機器が反応せず、店員が他の店員を厨房に呼びにいったり、復旧にかなり手間取っていた。Hさんとこの店は蒲田で入ろうと言い合った。

f:id:guangtailang:20240108181533j:image藝大生の映像作品。《雨の中、歩く》歌も流されている。日中、天気が良過ぎて反対側のガラス窓からの光が反射している。これら映像作品は日没後の鑑賞が最適だろう。ちなみにこの上野駅2階には神田酒場ダルマと同じダイナック系のハイボールバーがあり、氷柱ハイボールが飲める。

f:id:guangtailang:20240108180438j:image年が明けてから往年の角川映画ばかり観ている。『人間の証明』(1977)、『野性の証明』(1978)、『復活の日』(1980)。振り返ってみると、去年の暮れに土曜日の中国語サークルで『君よ憤怒の河を渉れ』(1976)が老師の脣に上り、そこから同じ佐藤純彌監督の上記2作品に自然と話が流れていった。松田優作アメリカ行くやつですよねとか、薬師丸ひろ子はそうか野性の方かなどと日本人同士が喋っていると、瘦躯の学者肌の老師が「中国では『人間の証明』を〔人证〕といいますね。これは日本語の題名と意味が合わない」と黒板に二文字を書いて、ピンインと声調を足した。僕は早速スマホで調べ、後ろに座っていたHさん(中国サークルのクラスメイト)に画面を見せようとすると、「人証と物証、みたいな。全然意味が違うな」と彼の方が早かった。要は法律用語なのだ。ちなみに『君よ憤怒の河を渉れ』の憤怒は、映画では〔ふんど〕と読ませ、中国語の題名は〔追捕〕である。