川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

電影?

母親がまだ脊柱管狭窄症のことだけで通院していた頃、『武漢日記』(方方著・2020)の日本語訳はなかった。コロナ感染がいよいよ日本でも蔓延し「これ、日本語で読めないのかね」と言うから、「そのうち翻訳されると思うよ」と適当に応えたら、数ヶ月経って僕の好きな余华の翻訳を多く手がける飯塚容の訳で本になった。早速買って彼女に渡したが、現在に至るも読んだという気配はない。コロナ状況も変化したが、なにより自分の躰のことでそれどころじゃなくなったのだろう。もうひとつ。『春江水暖』(顾晓刚 グゥシャオガン監督・2019)という映画。どこかでこれの予告編を見た母親が「Hさんの故郷ってあんな感じ?」と訊くから、早速公式サイトだかYouTubeで調べてみると富阳区(富陽区)というHさんの诸暨からも近いし、シャオレイの萧山とは隣り合っていた。映画だから巧緻により悠然と撮られているが、あの辺の景色はまさにこんな感じ。中国人も憧れる〈上有天堂,下有苏杭(空に天国があるように、地上には蘇州と杭州がある)〉。近頃DVDを買って彼女に渡したが、観たという話題も振ってこない。別にいいのだ。僕にとっては母親に渡し、彼女の手元にあることが重要だ。この映画のおもしろいエピソードとしては、劇中呉語の現地方言が話されている。僕が観ている時、わざとパソコンをHさんの向かいに持っていった。画面は彼女から見えないが、音声は聞こえる状態。僕には少しも聞き取れない呉語方言。しばらくHさんを観察していると、ん?という表情で僕を見つめ、耳をすましている。そして「电影(ディェンユン)?」と訊く。頷く。まさか電影から地元の呉語方言が流れてくるとは。そんな顔だ。そしてほとんどすべて聞き取れている。僕もにやにやしてしまう。念のため申し添えると、〈方言〉といっても日本と大違い、大陸のそれは音声的に外国語レベルに異なる。例を挙げれば、普通話上海語

f:id:guangtailang:20221206101216j:imageHさんの要望で風布にみかん狩りに行く。少し遅かったか。11月中旬くらいに来なきゃダメなのよと彼女が幾度か言う。それでも数ある園のうち比較的規模の大きいやまき園は斜面の上の方にまだけっこう残っている。靴を汚して上りながら、あっちあっち(那边)と下の果樹のあいだをうろうろしているHさんに注意を促す。相変わらずみかんを落としてしまい、コロコロ転がしている人がいる。これは僕らもよくやった。太陽が射すと汗ばむほどで、足繁く通っている(年によっては2回来た)この斜面の感覚を思い出し、遠くを見ながら深呼吸する。

観光農園に苦言を呈したこともあるが、ここの経営をしている家族はどの人も感じが良い。おじいちゃんおばあちゃんからその孫娘まで家族総出で園をまわしている。みかんを狩って下りていき、その後受付の脇に設営された屋根下のベンチで味噌こんにゃくをかじることを楽しみにしているので今回も。注文を取ったのがパーカーを着た孫娘だったのだが、しばらく見ないうちに美少女に育っていた。勿論マスクをしているから顔の半分は見えないのだが、面差しが美少女のそれに間違いない。「味噌こんにゃくよっつ」と、この家はいつから建っていますかとHさんも驚く立派な日本家屋の奥に声をかけていたが、なぜか後から来た客より提供が遅かった。まあこれはご愛嬌。

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