川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

バラ園

f:id:guangtailang:20220515162937j:image高速を降りて、幹線道路をバラ園に向かって走っている。クルマの数はベッドタウンからして非常に多い。数珠つなぎで小刻みに信号で停まる。ここまで来た時間より、ここから目的地までの時間の方がよりかかるだろう。助手席のHさんが「トイレほしい」と言う。この表現は切実にトイレに行きたい願いが込められているようで、妙に僕のお気に入りだ。よし、じゃあとりあえず駅まで行くからそこで借りよう。

f:id:guangtailang:20220515163050j:image〈バーチエンダイリュガチゥ〉と彼女が発話するすなわち八千代緑が丘の駅前ロータリーで先に降ろし、僕は近くのコインパーキングに入れることにする。バラ園のあとでこのあいだの韓国料理店に行くのであれば、こっちの方がいいのだ。たとえ行き帰り遊歩道(片道1.4kmらしい)を歩くとしても。行列を避けるために前売りチケットを買ったのに、園の駐車場で待たされるのは本末転倒だ。

しばらく待つが、Hさんはなかなかあらわれない。駅前を行ったり来たりする。高層のマンションが重なるように建ち並び、ロータリーの花壇にはバラが植えてある。人は意外とまばらにしかいない。やっと戻ってきたらうんこをしていたのだという。「洗手了吗?(手洗ったかい?)」「神经病(頭おかしい)」といつものやりとりをする。

f:id:guangtailang:20220515163104j:image遊歩道の途中にあるトンネル。Mは無論Hさんの存在を知っている。どころか、彼女の人となりについてもいろいろと話してきている。それである時彼女に言われたのが、〈なんか恋人同士がデートしているみたいな感じだね〉ということ。子どもがいないからそういう風にいられるんだろうね、とつづける彼女。彼女ははたちで娘を産み、その後息子を産んだ。一方、彼女も実際は23で息子を産んでいる。僕に子どもはいない。彼女と接していると子どもがいるように思えないことがよくあるが、その彼女が子どものいる彼女と僕の今のありさまをそのように表するのをおもしろいと思った。

f:id:guangtailang:20220515163119j:image今が見頃ということで園内はすごい人出だ。前回今月3日に来たのだが、半月も経たないうちにこうも違うものかと思った。

下町の軒先にも丹精を込めて育てられたバラが開いているのをよく見かける。

f:id:guangtailang:20220515163101j:imageおんなのひとは花が大好き。僕も最近は好きになってきたような気がする。これからいろいろと覚えていきたい。だけど、今まで生きてきて、女性に花をプレゼントしたことがあっただろうか。母の日にだってプリンばかりあげてきたのだ。

f:id:guangtailang:20220515163058j:imageなぜこんなにも輝くのか? 

f:id:guangtailang:20220515163107j:image雨に濡れそぼつバラ。重層的な花弁に残る雨粒、そこから落ちる雫。音のかき消された景色の中で、それらをまた見てみたい。かなり雨の強い日にあしかがフラワーパークに行ったことがあるが、〈植物はなぜこんなにも輝くのか?〉という現代詩の言葉を思い出し、鮮烈に実感したのはたぶんその時だ。

f:id:guangtailang:20220515163113j:image香りをよく発するバラとそうでもないバラがある。あとで併設のショップで園がつくっているバラのスプレーを買った。Hさんは一輪挿しの花瓶を買った。

f:id:guangtailang:20220515163110j:image移動販売車が園内に乗り入れており、そこで、多くの人たちと同様にせっかくだからとバラのかたちを模したアイスクリームを買う。800円。この値段を知って踏みとどまる人もいるだろう。ふたりで1個を食べる(実質ほとんど僕が食べる)。他にも池の近くにカレーやらクレープの販売車が出ている。この奥まった一帯はバラが少なく、岩に座ってカレーを食らう人、芝生に寝転んでいる人などがいる。

f:id:guangtailang:20220515163054j:image〈我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか〉。

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