8月に観たものを12月30日に書く。9月下旬から11月の頭まではラグビーW杯に没入したこともあり、対スコットランド戦の日本のトライシーンはめざましく思い出せるのだが、このTVドラマは記憶が曖昧になっている部分も多い。かといって、今もう一度観直す気力はない。老いたわ、完全に。
『颱風とざくろ』第11話。藤田敏八の監督復帰。しかしこの回は終盤の10数分が欠落し、さらに画面の乱れやノイズが著しい。12話と最終話も乱れとノイズについては同様だ。半世紀前のテレビドラマだということを今一度思い出す。物語としてはいよいよ佳境。
冒頭、松原が街頭インタビューをしている。普段、家族と話をしていますか? どんな話をしますか?
恋敵同士がこうして喫茶店で話をしていると、
不意に店に飾ってある絵画に画面が振れる。異形の者。
深刻な顔をしてもお人形さんのような松原。
この近代主義者のおっさんは現在からみるとやや滑稽だな。石坂から詰問されて然るべきだ。
この後、映像が欠落している。第12~13話へ。
湯布院の祭り。闇夜に太鼓の音が鳴り響く。水面に揺らぐ焔。
異形の者。何やら幽玄の趣きあり。
12話の冒頭は延々これを映している。さすがビンパチ監督である。
1969年の湯布院。
この人の地元の言葉はとても良い。湯船で一緒になった松原が東京から来たことを知ると、なんとかという湖に行ってみなさいと言う。山下湖だったかな。
バスガイドをしている大柄な娘も良い。取り違え子の松原と好対照をなす。ちなみに下の松原の衣服は彼女だから可憐に着こなせているようなものだ。一方、バスガイドの制服もベレー帽がのってかわゆらしい。
九重レークサイドホテルの庭。このホテルはすでに閉館している。調べてみると、1975年にこの一帯で地震があったらしいんだな。以下、Wikipediaより。
「1975年4月21日に発生した大分県中部地震では、九重レークサイドホテルの1階部分が倒壊した。この倒壊は建物の剛性のアンバランスによって起こったと考えられ、後に1981年の耐震基準改正で剛性率が考慮されるきっかけとなった。また、この地震では、山下湖の堤防が決壊し、湖底の大半が露出した。その際の調査で、縄文時代の土器や石器が発見されている。」
この女の表情や言動はいかにも女性的なのかと思いきや、
カーブの多い山道をジープで疾走する無鉄砲さ、運転技術がある。翔んだお嬢さんだ。しかし、芯の強い松原も動じはしない。
速い車にのっけられても 急にスピンかけられても恐くなかった
赤いスカーフがゆれるのを 不思議な気持ちで見てたけど
私泣いたりするのは違うと感じてた
緑色の斜面を転がったあと、強い瞳で石坂を見つめる松原。
このドラマにおいて岡田真澄はいいスパイスになっている。飄々として頭が切れ、ちょっとシニカルでだらしがない。友人のうちにひとりはこういう彫りの深い日本人離れした顔の者を持つべきである。
「優生保護法指定医」ですって。
結局、つかず離れずのふたりである。綺麗な鼻梁をしている。
ヒッピーじみたさんにんである。
12月30日、雨のち曇り。気温は2度か8度。