〈国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん。」〉
言わずと知れた川端康成『雪国』(1937)の冒頭。「国境」が〈こっきょう〉なのか〈くにざかい〉なのかというような文章を学生時代に読んだことがある。「長いトンネル」は当時完成して間もない清水トンネル。
11月初旬、関越道を使って越後の湯沢に行き、そこで川端康成が『雪国』を執筆した旅館に泊まった。関越トンネルは全長11キロメートル。助手席のHさんも暗がりの中で眠気を誘われ、「長いトンネルだわね」と中国語で呟いた。
トンネルを抜けてもまだ降雪が見られる時期ではないが、紅葉が美しかった。トンネルをくぐる前よりも風景がしっとりしている。
166人乗りのロープウェイで湯沢高原まで上る。皆、窓に顔をくっつけて紅葉を眺め、あるいはまた動画や写真に撮っている。
降車するとやはり空気はひんやりとしている。眺めのよい場所に足湯が設置されているのを横目に、昼時なのでイタリア料理の店に向かう。われわれの隣りの席にきた親子3人はロシア語をしゃべっており、父親は白髪ながらもふさふさしていたが、20台前半とおぼしき息子は禿げ上がっていた。若い女性店員がオーダーを取るのを一瞬ためらって同僚に相談しているのが見えたが、ロシア人の父親はわりかし上手な日本語をしゃべった。大きな窓を通してやわらかな陽射しがテーブルを浸す席で、われわれはアンチョビののっているピザを2枚とサラダを食べた。
高原内に設置されているリフトを下から上に乗っているさなか(景色はまさに錦繍と言うにふさわしかった)、アナウンスが流れ、クマの目撃情報があったため、トレッキングコースと一部遊具の閉鎖を伝えていた。東京を発つ前から懸念していた事柄であったが、ただでさえ人里や街中にまで出没しているのだから、山があればクマがいるという当然のことであった。「少なくとも今のおれたちは襲われない、なにせリフトに乗って中空に浮かんでいるのだから」と軽口を叩いたら、「降りたところでクマが待ち伏せしてたらどうすんのよ」とHさんが言った。
上越新幹線のトンネルが下を貫通しているらしい坂道を上り、旅館の駐車場に到着すると、従業員が「さっき、この裏でクマが目撃されたそうです」と言いながら僕らのスーツケースを持ってくれた。山があればクマがいるという当然のことである。
部屋のテレビを点けると、高校ラグビーの新潟大会決勝で接戦が演じられていた。胎内に本拠を置く高校にはポリネシア系の褐色でひときわ体格のよい選手がいる。そういえばさっき、旅館のフロントで対応してくれた若い男性は僕がHさんに夕食や朝食の時間を中国語で訊ねるたび、彼女の顔を見ていた。そしてエスカレーターで上っている時、「あなたは中国人でしょう。これから中国語を使って館内説明をしてもよいですか?」とHさんに向かって言った。彼はなかなかのイケメンで、河北省か湖北省の出身だった。このふたつの発音は非ネイティブには聞き分けにくい。川端康成についても中国語で説明がなされた。夕食の配膳係の男女も東南アジア系の外国人だった。よく日本語独特の料理の名称を覚えて説明できると思う。八海山と鶴齢が飲み放題だった。
ふたりで顔を紅潮させながら温泉卓球をやり、カメムシが飛んできたのを潮に部屋に戻った。それから僕はラグビーの日本対アイルランド戦を見た。前半日本は食い下がったが、後半で地力の差が露わとなり、世界3位が世界13位を圧倒した。振り返るといつの間にやらHさんは眠っていた。
翌朝、彼女が二重窓を開けて外に出る気配を感じ、僕も目が覚めた。雨が静かに降っている。新潟は勿論、ひときわ雨の似合う土地である。
南魚沼の道の駅で買い物したあと、関越トンネルを抜けて、吾妻郡のロックハート城に到る。雨は依然細く降っていた。傘を差すかどうか迷う程度に。
ここから話題は新潟や群馬を離れる。
11月23日。朝から午後3時45分まで中国語検定の3級と2級を受験してきた。3級は以前に受けたことがあるが、中国語学習会の同学も受けるということでふたたび。といっても申込みの時期が違うからか、会場は離れ離れだった。
僕の会場は神保町の共立女子大。着いてみると先日宅建士の講習会を受けた日本教育会館ビルの隣りだった。段々になって開放的な入口を過ぎ、エスカレーターで上っている時に気がついた。周りにいるほとんどがはたちくらいの女性だ。明るい声に包まれて、無精髭のおっさんが在る。彼女たちは皆先に降り、僕は7階まで上がった。
その教室も若い女性が全体の半分以上で、ちらほら僕のような薄毛のおっさんが混じっている。さっき書いた同学のH氏は先日韓国語の試験も受験しており、その時は教室の9割方が女性だったらしい。あの窓は君のもの語学は女性のものと思わず呟きたくなる。ちなみにH氏は69歳で禿げている。
3級の試験自体は今の僕にとって容易で、かなり時間を残して教室を出た。それでも、すでに5、6人が退席していた。こういう場所では異様に早く席を立つ人がいる。それこそ退出許可が出た瞬間に机上のものをしまい始める。あれはさすがに見直しをしていないと思う。僕は必ず見直しをする。マークがずれていて痛撃をくらった過去があるから。他のケアレスミス防止もある。にもかかわらず今回もケアレスミスが何問かあり(3級・2級ともに)、晩に解答を見ながら天井を仰いだ。
2級は午後1時30分から。昼飯を食いに外に出た。エスカレーターを降りた脇では東方書店が販売コーナーを設けている。たしか店舗の方は日曜定休だったはず。我が国首相の発言に端を発し、日中関係がまたぞろ剣呑な雰囲気になっているが、少なくとも中検の会場は若人の熱気に華やいで、ネガティブなものは微塵もないのだよなあと考えながら道を歩く。マンダラという地下にあるインド料理の店でチキンビリヤニを食い、内山書店を徘徊し、東京堂書店でE.M.フォースターの『インドへの道』(河出文庫・小野寺健訳)を買った。さらにペットボトルの茶を買って会場に戻り、6階の教室に入ったのが1時10分だった。
2級はちょうど今の僕のレベルに見合っているのだと思った。リスニングも筆記もわかるものは自信を持ってわかるし、これはむずいなと思う設問もちゃんとある。この級に合格していれば、しっかり中国語勉強してんのねえというレベルだと思う。たしか今田美桜が2級を所持しているはずだ。ここでも異様に早く席を立った女性がおり、思わず振り向いてしまった。そうだとしたらあなたは準1級を受けなさいと思わず呟きたくなる。さらに、時間ぎりぎりに入室した僕の後ろの席のロングヘアーの高身長女性が机上のものをしまい始めた。と、こうやって書くと薄毛の煩悩おやじが周囲の女性にばかり目がいって、ちゃんと試験に集中しろや、だからケアレスミスが起きるんだよ、とお叱りの声が飛んできそうである。が、事実なのだからしょうがない。集計が終わり、あなたたちならこれくらい解するでしょうとばかりに試験監督のおばさんが突如中国語で労をねぎらい始める。
新潟旅行の帰りのサービスエリアでそばとうどんをトレイで運んでいる時にはがれた靴底。最初はハンバーガーでも踏んだのかと思った。旅行のほぼ終わり頃で助かった。このあと、右足は靴を履かずに運転して帰宅。
蛇足ながら、Hさんに2級の試験問題を見せると屁でもない様子で解き始め、当たり前なのですが、しかし中文和訳は全然できませんでした。以下のようなものです。
(1)内容是愤怒的客户在向工作人员疯狂地抱怨,毫不节制地发泄自己的情绪。
(2)这种方法看起来让人沮丧,它无情地戳破了人们对这份工作的美好想象和憧憬。
【模範回答】
(1)内容は、怒り心頭の顧客が従業員に狂ったように文句を言い、少しも遠慮することなく自分の感情をぶちまけるというものである。
(2)このような方法は見たところ人を意気消沈させ、人びとのこの仕事に対する美しい想像と憧れを非情にも打ち砕く。