川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

みずうみ

晦日。午後、牛乳を切らし、買いに出る。防寒にエディ・バウアーのダウンジャケットを羽織り、中はパジャマ、裸足にスエード靴という珍妙な恰好である。近所の寂れた商店街に並ぶ書店は今日も開いている。ここには品揃えというほどのもないのだが、文庫本を2、3冊買ったことがある。何十年も老夫婦ふたりでやっている店で不思議につづいているが、たしか私と同い年の娘がいたはずだ。もう長いこと見かけないから、どこか違う土地に嫁いでしまったのかも知れない。学校じゃなく、当時学習塾で一緒だった。小柄な彼女は静かな瞳をまっすぐに向けるような老成した印象で、勉強は私よりかなりできた。ただ私は、この人は何を楽しみに生きている人なのだろうと中学生ながらに思ったものだ。笑い顔も見たことがなかったから。あとあと考えてみると、家業からくる読書家だったのかも知れない。いや、若き読書家が老成した印象を人に与えるということは必ずしもないのだろうが…読書家ってなんだ。コロナの感染者が過去最多、東京は1,300人超というニュースの画面を見ながら、書店の向かいの小型スーパーに入った。

f:id:guangtailang:20201231163813j:image時間は遡り、30日。暗雲垂れ込める花園ラグビー場。これを職場で観ながら、試合と全然関係ないことを思い出していた。それというのが、私と弟がまだ小学校低学年及び未就学児だった頃、家族で東北へ旅行したことがある。このあとの話は母親がその時に起こった〈事件〉について語る内容を私が再構成したものだが、よにんは田沢湖畔のホテルに泊まった。朝方、母親が目覚めると、私と弟の姿が消えていた。ぞわぞわっと寒気がのぼり、すぐに傍らの父親を叩き起こし、探しに出ようとすると、そこにパンツ一丁でびしょびしょになった幼い失踪者ににんが帰ってきた。訊けば、ににんは両親より先に起床し、湖に泳ぎに行く思いつきを即座に実行に移した。しかし、予想に反しておもしろくなかったのか、予定と何か違ったのか(ここの記憶は私にも弟にもなく、ましてや両親にはわからない)、すぐに部屋に戻ってきたのだった。衣服はつけず、ずぶ濡れにパンツ一丁のままホテルのロビーを通って。この一件、母親はのちになって考えるほど恐怖が湧いてくるという。もし万が一、どちらかの足が湖の水草などに絡まってしまっていたら…急に深くなったところに滑り入ってしまっていたら…どちらかが迅速に助けを呼べるほどの知恵があったかどうか…ふたりともパニックになってしまっただろう… 当時、私と弟はスイミングスクールに通っており、本人たちは泳ぎにそれなりの自信を持っていたのでこの〈事件〉は起こったのだが、所詮は年端もいかぬ子ども、それにプールと湖ではまるで条件が違うだろう。天然自然というのは恐ろしいのだ。幼い命がこの日本一深度のある湖で失われていたかも知れない。私が少し疑問に感じるのは、私と弟は両親のそばで寝ていたはずだが、ひそひそ声の相談にしろ、部屋から出て行く物音にしろ、両親は気がつかなかったのかということだ。なんとなく起きているなとは思ったが、まさか部屋を出て、湖へ泳ぎに行くなんて考えもしなかった、というところか。まあしかし、当時の両親は現在の私よりはるかに若く、30代前半だった。若さゆえの気楽さ豪胆さでベッドに潜ったままだったのだろう。

f:id:guangtailang:20201231163838j:imagef:id:guangtailang:20201231163848j:image『足のうらをはかる』(平沢彌一郎・ポプラ社)が令和2年の掉尾を飾る本だった。ご覧のように児童書であるが、私は感動した。晩年の谷崎先生も縋った足裏研究の泰斗であり、自らの半世紀を人間の足裏をみることに捧げた。また、ピドスコープなど画期的な機器を開発した。同時にキリスト者としての人生を歩み、大学退職後は聖書研究に勤しんだ。先になぜ、ラグビーの試合そっちのけで湖の記憶(母親の話)を思い出したのか。実は試合開始前にこの本を読んでおり、平沢先生は次男を若くして亡くされているのだが、そのことが「さなる湖」として一章を割いて書かれている。佐鳴湖浜松市郊外に存在する。