川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

蹉跌

f:id:guangtailang:20191221115043j:image『青春の蹉跌』(1974・神代辰巳)をDVDで。世評が高いのは知っていたが、観たことはないと思っていた。しかし、いざ観てみるとかなりの部分が記憶に残っており、たぶん学生の頃に観たことがあるのだった。70年代前半の空気が濃厚に漂っており、あまりに70年代的な、70年代を代表する映画。【以下、ネタバレあり。尚、役名では呼ばず、俳優の名で呼んでいます】

f:id:guangtailang:20191221115341p:plain冒頭のこの場面で、すぐに観たことがあると思い出した。学生運動の残滓がまだそこかしこに散らばっている中、ショーケンは海沿いの建物の屋上でローラースケートで滑走しながら折り畳み椅子を運んでいる。これが当時の若者のやるせなさ、しらけ、不毛、鬱屈、倦怠、アンニュイ、そんな意味の言葉ならなんだっていいが、それらを見事に表現している。このすぐあとにアメフトの両肩をぶつけ合う練習場面が来る。

これと双璧をなすものとして、『八月の濡れた砂』(1971・藤田敏八)の冒頭、真夏の校庭にあらわれた村野武範が、退学した校舎の窓めがけてサッカーボールを蹴り上げ、ガラスが砕け散る。タイトルバック。そのすぐあとに砂浜を疾走するバイク。というのがある。どちらもテーマの音楽がまた良い。

f:id:guangtailang:20191221115419p:plain惜しむらくはショーケンが司法試験に合格するようにも、アメフトをしているようにもあまり見えないことだ。まあでも、それはたいしたことじゃない。ショーケンが家庭教師をする先の娘、桃井かおりはこの頃から桃井かおりである。

f:id:guangtailang:20191221115502p:plain桃井の短大合格の祝いに雪山にスキーに行き、それからというもの交接を繰り返すふたり。桃井はむちむちとして、ショーケンは痩身。アメフト選手というにはやはりちょっと細過ぎる。

f:id:guangtailang:20191221115538p:plain援助を受けている伯父のヨットに乗って紺碧の海に繰り出すと、いろいろと説教される。拡げて置いた指のあいだをナイフの刃先が往復し、おれの言う通りにすればいいなどと。伯父の娘、檀ふみは海に飛び込み、なかなか泳ぐのがうまい。ショーケンも飛び込む。波のまにまに漂いながら、桃井との過去はもういいから、これからはわたしを見てと檀が言う。

f:id:guangtailang:20191221115628p:plain当時の上野駅コンコース。妊娠し、堕胎したと言っていた桃井の嘘を知ったショーケンは彼女を以前訪れた雪山に誘う。雪原でおんぶし、おぶされを繰り返しながら、ふたりは轟音を発する滝の方に近づいていく。桃井はショーケンの気持ちが自分からとうに離れていることを十分わかっている。斜面を転がりながら心中しようと言う。社会的上昇を手に入れつつあるショーケンにとってはそれは蹉跌というより奈落以外のものではなかった。桃井を絞殺し、雪に埋める。

檀と結婚し、新たな生活を送っている。アメフトの試合のハーフタイム、2人組の刑事がショーケンに歩み寄ってくる。試合再開。グラウンドに向かうショーケン。どこにも逃げ場所はないという老年の刑事。ジャンプしてボールをキャッチしたショーケンが倒れ込み、そこに敵の選手が折り重なってくる。頸骨の折れる音。ストップモーション。音楽も止む。しばらくして、テーマ曲が流れ出す。

かつての学生運動の闘士、森本レオが酔って激高し、ショーケンにコップ酒を浴びせる場面、最後の方で瞬間的に挿入される雪中から桃井の手首がのぞいている映像なども非常に見覚えがあった。DVDは発売されたばかりだから、当時、VHSで観たのかな。

f:id:guangtailang:20191223214040j:image23日夜。BS朝日町山智浩アメリカの今を知るTV」にアメリカ在住の現在の桃井かおりが出ている。

f:id:guangtailang:20191223214050j:imageぼくの母親の1歳上。母親はショーケンが好きではないようだが、桃井は好きだ。

f:id:guangtailang:20191223214108j:image45年前の『青春の蹉跌』の裏話も。斜面を転がり落ちるのはアクシデントだったという。