川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

聡明

f:id:guangtailang:20201001121812j:image秋吉久美子桃井かおり原田美枝子のさんにんは70年代を象徴する女優という認識です。彼女たちを抜いて70年代日本映画は語りようがないと考えている。私の母親に近い年齢の人たち(桃井と母親は同い年)ですが、10代・20代の彼女たちの躍動する映像が、惜しげもない裸身が、めざましく浮かびます。

この本を読むと、秋吉さんは70年代とかいわゆるシラケ世代とかそうゆう枠に収まり切らない、その手のレッテル貼りから絶えず逃走してきた女優なんですよということが語られている。それを言うなら、桃井さんも原田さんもキャリアが長いし、ある程度そうなんだろうけど。むしろ、ロマンポルノの方にどうしようもなく70年代を刻印された女優がいます。

それにしても秋吉さんの記憶力は素晴らしいな。現在から多少再構成された記憶があるにせよ、理路整然と自らの生い立ち、関わってきた映画、監督、共演者、マネージャー、チッチョリーナから黒木香、時代状況を語る。『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』(すべて1974)の藤田敏八監督のことは「少年っぽいところがある」と語る。ひとつのエピソードとして、秋吉さんが当時まだ珍しかったダメージジーンズ(自分でストーンウオッシュした)を穿いていると、お前それどこで買ったんだ? と羨ましそうな目で見ていた。まあ、ビンパチさんはそうゆうところあるんだと思います。年下にも気安くパキさんと呼ばせたりしていたわけだから、監督としての威圧感とかは全然ないだろう。秋吉さんは磐城女子高校(現磐城桜が丘高校)の文芸部部長を務め、10代で小説を物していた。先述3本の映画で鮮烈なイメージを残すと同時に、少し頭の弱い子というイメージも持たれてしまったらしいが、この超ロングインタヴューを読むと、いかに聡明な人かわかる。冒頭の秋吉さん自身の文章もちょっとへんてこなんだけれど、聡明。

f:id:guangtailang:20201019133703j:imagef:id:guangtailang:20201019133733j:imagef:id:guangtailang:20201019133741j:image18日、宅建試験。今年は新型コロナウイルスの影響で会場が体育館のような場所だった。地階で天井高が6mもある。空調と音響の環境は良く、マイクの声がとてもクリア。監督員を終え、上野駅まで歩き、若廣の焼き鯖すし(しお)を買う。