ひきつづきハルピンが恋しくて、『薄氷の殺人』(2014・原題 白日焰火)をDVDで観直す。サスペンスやミステリーとしての出来がどうとかは個人的に二の次三の次。勿論、そうゆう視点でみても悪い出来の映画じゃないと思っているが、評者によってはそこでマイナスの批評を下している。たとえば、説明不足でわかりにくい、ラストが良くないなど。そう書く前に零下25度を体験してきなさい。コロナが終息してからでいいから。おれは今回、〈どんだけ普段着のハルピンか〉という視点で観ました。つまり、舞台となる真冬のハルピンの、暗く重苦しい、その中でネオンサインだけが妙に鮮やかに明滅している、街と人からそくそくと迫ってくる寄る辺なさ、これです。いずれ作品をダシにして己の夢を語っているのならば、おれがどんだけ普段着のハルピンかを判断したっていいじゃないですか。かりそめにも7度もハルピンに足を運んでいる以上、着飾ったよそゆきのハルピンを見せられても詮無い。ちなみにマイナス25度というのは氷祭りの会場に行った際、温度計に示されていた数値ですので、最後にその画像を貼っておきます。【以下、役名ではなく俳優の名で呼んでいます】
始まって数分、痩せた女がきれいな蹠を見せながらホテルの一室で男とトランプをしている。ふたりは夫婦だが、その関係はほとんど破綻している。男が本作の主役、廖凡(リャオ・ファン)。ふたりとも夏服で、カーテンが風に揺らいでいる。映画は意外にも夏から始まるのだった。女の黒い傘が開くのも、ハルピンビールの空き瓶が階段を転げ落ちるのも、むさ苦しい男どもがスイカにかぶりつくのも夏の日のことだ。
廖凡は湖南省長沙市出身の南方人(ナンファンレン)だが、映画では東北人(ドンベイレン)を演じる。女性も気になって百度(バイドゥ)で調べたが、倪景阳(ニン・ジンヤン)さんではあるまいか。この人こそ黒竜江省出身らしい。その身長たるや182cm。
この暗く重苦しい、殺風景な車内を見よ。現在のハルピンは地下鉄も通っているようだが、こんなじゃないだろうきっと。寡黙を乗せて走るのは日本も変わらないが、ここには広告もアナウンスも、柔らかい椅子もない。暖気(ヌアンチィ)はさすがにある。女性ひとりで乗って大丈夫かしらと思わせる。ただ、不潔ではない。窓の外は極寒の大地。
だから、極寒なんですって。こんな風よけもない吹きさらしの凍りついたプラットフォームで列車を待つなんて。北海道ならありますか、こうゆう場所。女性は主役の桂纶镁(グイ・ルンメイ)。台湾の女優です。南方人と言っていいでしょうが、東北人を、ファム・ファタールを演じます。台詞はかなり少ない。
陰気な食堂でパオズをかじる廖凡。壁に書いてある〈清真〉というのはイスラム教の、という意味。羊肉のスープを出すらしい。バオズでもいいわけです、ハルピンでもハルビンでもいいのですから。
日中に乗ると、列車内はこのようか。それにしたって寒々しい。だけど、おれはこの手の大陸風の情景が嫌いじゃないんだ。
この氷雪の橋の袂は、『バーニング・アイス 無証の罪』で若い男女が奇妙な中年男と出会い、運命の分かれ道となった場所ではないか。こちらが先だが。
朝の男女。大衆食堂で粥をすする。この場面がね、いかにも中国北方地方の朝餉といった感じで。湯気の人心地、足元のヌアンチィ。ボアのついた分厚いレザーブルゾンを着たまま武骨にすする。粥自体がうまいというより、この土地の気候、この場のシチュエーションがうまさを引き出す。
卓に並べられたハルピンビール、床に置かれたハルピンビール。
今、ハルピンビールが日本でも手に入るのですよ。〈ハルビンビール〉で検索してごらんなさい。
【2013年1月13日撮影。(つまりこの翌年に『薄氷の殺人』が公開され、第64回ベルリン国際映画祭で、金熊賞と銀熊賞を取っている)】地元の人は毎年足を運ばないだろうから、氷祭りを普段着とは言い難いが。