川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

灰色の街

f:id:guangtailang:20170926091308j:plain2013年11月9日、早朝、ハルピン。この日、私と当時の妻は午前6時までにハルピン太平国際空港へ到着しなければならなかった。前日に方正県から路線バスでハルピン中心部まで移動し、安宿に一泊した。午前4時半くらいに起きて急いで支度しロビーに下りると、すでに妻の親族が待っていた。彼が空港まで車に乗せてくれるという。フロントで毛布にくるまっている服務員を叩き起こし、支払いを済ませた。中国で退房時にある部屋の備品チェックはこの時あっただろうか。何せ早朝だ。

運転席の彼が首を捻じって、まだ時間があって空港には十分間に合うから朝飯を食べていこう、と言う。後部座席の私と当時の妻は顔を見合わせ、じゃあ、そうしようか、と決まった。彼が携帯でどこかへ電話すると、早朝にもかかわらず相手が出て、しばらくやりとりしていた。

着いた先は灰色の住宅街だった。曇天の下の殺風景なビルの連なりにまだ人気はなく、ひっそりと静まり返っていた。それらのビルの一棟の階段を私たちは上った。めりめりっと何か踏んだと思ったら、砕けたガラスの瓶が落ちていた。

呼び鈴を鳴らすとすぐにドアーが開いて、小太りのおばさんが招き入れてくれた。奥のソファにはおばあさんが座っていた。さらに厨房ではパジャマ姿の中肉の女性が何かつくっていて、鍋から湯気が上がっていた。私たちは、こんな朝早くにありがとうございます、と礼を言った。彼女たちはにこにこしていた。テーブルに卵粥が運ばれた。中央大街のロシア風建築に勝るとも劣らない鮮やかなイエローの粥だった。私はこの時に食べた粥が人生でいちばんうまかったと断言できる。味道は勿論のことうまかった。が、そのこと以上にこの部屋の住人たちのもてなしが何とも言えず気持ちの良いものだったこと、寒風吹きすさぶ灰色の街の内側で温もりに触れたことがこの粥を特別なものにした。

4年近く経った今でも、この卵粥の乗った食卓の光景は、折に触れてめざましく思い出す。