このクラッシュドコーヒーゼリーすなわちCCJを気に入ってしまい、また来た。円形テーブルの席を選び、昭和大箱喫茶の名残りの女神を臨む。先日、Mが初めて北千住の地を踏んだ。夕方から急に冷たい風が吹いた日で、僕は犬橇も可能なコートを着込み、約束のペデストリアンデッキの上で薄毛をなぶられていた。ラインで連絡があった通り、15分ほど遅れて彼女はあらわれた。また首元が寒そうだったので、手袋の指で軽くそこを押した。やっぱり指摘されたなとふふっと笑った。駅ビル壁面のデカデカとした北千住の文字を背景に、Mの写真を数枚撮った。おのぼりさんみたいやんあたし。だってそうだろ、とからかう。彼女は生粋の横浜人だが、関西弁を使うことがある。昔ここに何年か住んでいたが暮らしやすかった、ちょうどこのデッキをつくっている最中だったと屋外エスカレーターを降りながら話す。そのあとこもり感のある居酒屋で飯を食い、どのタイミングで言ったか忘れたが、Mは街の好き嫌いがはっきりしているので、どうですかこの街はと訊いてみた。滞在数時間で。第一印象。藤沢に似ていると言った。藤沢は好きなの? あんまり好きじゃないんだよね。そんなら北千住も嫌いってことか。彼女は苦笑いして、あ、でも藤沢よりなんかきれいな気がするとフォローした。
そんな北千住でCCJを食べ満足。そのあと東京藝術センター2階のシネマブルースタジオで大島渚『青春残酷物語』(1960)を観る。〈松竹ヌーヴェルヴァーグ〉の嚆矢となった作品という知識くらいはあるし、もしかしたら大学時代に新宿ベルプラザのツタヤで借りて観たような気がする。鑑賞中に何度かそう思った。冒頭からテンポよく、表現もドライ(しかし夜の光は艶かしい)で、60年以上も前の映画だが古めかしい感じは受けない。これは驚異的なことだ。貯木場の一連の流れなどかなりよい。ただ劇伴は仰々しく、時代を感じてしまう。〈政治の季節〉の理屈っぽさと世代間ギャップの描かれ方(主役の男女を取り巻く人たち)、それらは自分からだいぶ隔たっている。それにしたところで時代資料を超えて観る価値があると断言できる。
13日昼間、池袋の焼肉店でMと会う。少し早いけどとチョコレートをもらう。三代目大谷鬼次の江戸兵衛エクセレンスショコラ。この日の彼女はベージュのストールを羽織り、同系色のタートルネックセーターを着たおとな装いで首元も寒くなさそうだ。梅酒のソーダ割りを2杯飲んで、途中から例の奥行きのある瞳をしていた。