Hさんが大陸に帰る前、自分の自転車を雨ざらしにしたくないと言い、彼女が不在の三月弱のあいだ、自転車を家の一階に格納していた。新聞紙を床に敷いて、これでどうだいと微信で画像を送った。ある時から僕がウィスキーウォーキング(WW)に出かける際の用具、手袋やらネックウォーマー、耳あて付きお帽子をサドルに置いたり、カゴの中に入れるようになった。ちなみに僕の自転車は雨の日も雪の日も外だ。
先週Hさんが戻ってきて、自宅待機期間はまだ明けないのだが、食材等の買い物に近所に出なければならない。メモ書きを持って僕が行けばいいようなものの、用を成さないと思われている。いや、そこまでの木偶(デク)じゃない。彼女自身が品物をみて選びたいのだろう。それで三月ぶりに自転車を表に出した。ふと思いついて、「リング錠の番号を覚えているか?」と訊く。彼女は一瞬あっという顔をして、すぐに表情を戻すと中国語で数字の連なりを唱え始めた。自信のある感じはしない。果たして、その四桁の数字のボタンを押しても解錠されない。それならと他の思いついた数字の羅列を次々試しているが、いずれも虚しい。ふたり自転車の前でむつかしい顔をして突っ立っていた。すると、「あなた覚えてる。番号なんですか?」と既視感のある無茶振りがきた。勿論覚えていない。というかそもそも知らない。これが彼女との日常が再開された合図のような気がして、思わずニヤニヤした。45と50過ぎの人間の記憶想起の力は衰えている。
結局、近所の自転車屋で現在のリング錠自体をはずしてもらい、新しい品物に付け替えた。