川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

霧降高原

f:id:guangtailang:20240722092451j:image1,445段階段を半分くらい上っただろうか、名の通りに霧が立ち込め、数十メートル先は何も見えない。ただ、僕は眺望を楽しむことを第一義として上っているわけではなく、言うなれば体力試しのために上っているのだ。

今年はきつかった。正直に言えば800段を越えたところで、人気がないのをいいことに階段にへたり込み、ゼーゼー気管をいわせながら何度か休憩した。でっぷりとはみ出た脇腹の贅肉をつかみ、おれはこのままでは終わらないとこめかみをツーと伝う汗を感じながら決意した。そして、汗みどろになりながらついに小丸山展望台にたどり着いた。

f:id:guangtailang:20240722092449j:image勿論、何も見えない。周囲に人気もない。

そういえば、と思い出す。今では糖尿病を発症している弟が昔、僕が濃霧の中に走り去ってゆく後ろ姿の写真を撮り、後年、プリントしたそれをまじまじと見ながらこれはいいなと自画自賛したことがある。あれはいつどこで撮られたのだったか。どこか林の中の砂利道だったこと、僕が着ていたのが黒とオレンジの細いボーダーのポロシャツだったこと、蹴り上げられた片方の靴底が見えていたことは覚えている(それは画像の記憶ということだ)が、それ以上のことは思い出せない。写真もどこかにいってしまった。

f:id:guangtailang:20240722092457j:imageこれを書いているのは1,445段階段を上り下りした日から一週間近くが経とうとしている今日なのだが、いまだにふくらはぎの筋肉痛がひどい。それは自宅の階段を上る時より下る時によりよくわかる。ハルピンで売っているロシアの巨大且つ硬いパンで何度も殴りつけられ打撲したような感覚で、段を踏むたびに思わず顔がゆがむほどだ。しかもこの痛みは帰宅してから、つまり二日後にきた。見た目には皮膚が紫に変色することもなく、パンパンに腫れているだけなのだが。毎晩ふくらはぎに消炎軟膏を塗って、少しましになってきたような気がする。回復が遅いのも老いである。

f:id:guangtailang:20240722092446j:imageキスゲ平園地に向かうつづら折りの手前に立地する今回の宿周辺では20度半ばの気温の中で過ごした。駐車場へ回り込む時、Hさんが建物を見やりながら駅みたいだねと呟き、言い得て妙だと思った。

橋の欄干ではトンボがやかましいほど飛び交っていた。ヤマビルが出ると注意喚起されている鬱蒼とした方へは行かなかった。

祖母の住んでいた神戸の家を売却し、多少はまとまった金を手にした母親の目が向いているのは軽井沢である。小屋程度でいいから向こうに家がほしいと言う。何度も一緒に行っている父親も、これには同調する気配がない。管理が大変(任せても金がかかるという意味も含め)、厳冬が大変、母親の身体が大変。泊りがけなら、犬連れオーケーの宿で夏場過ごせばいいというのが彼の考えだ。僕は「やらない後悔より、やった後悔」と嘯くだけで、そこまでコミットしていない。大病を経た母親の念願となったこの事柄に関して、今までのやりとりを振り返るに、そもそも僕の意見が反映される余地がないことを悟ったから。

東進して喜連川。平野の中にあらわれる温泉地の入口は昭和の匂い芬々たる。大正ロマンをテーマにしたという道の駅でHさんが農産物を買う。クルマを降りると、35度の熱風が襲いかかってきた。

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【タンタンとやる造句】(7.18)

 

我觉得那个政治家关心群众的疾苦。

僕が思うにあの政治家は大衆の痛みに関心を寄せている。

 

这篇小说里有非常值得关注的文学价值。

この小説の中には注目すべき文学的価値がある。

 

在二十世纪绘画作品中,毕加索的《格尔尼卡》是上乘之作。

20世紀絵画の中で、ピカソの『ゲルニカ』は最高傑作のひとつである。

 

那条蟒蛇在草丛里耐心地等待猎物的出现。

その大蛇は叢の中で獲物が現れるのをじっと待ち構えている。

 

上周末的一场橄榄球赛,真是棋逢对手,双方展开了激烈的拉锯战。

先週末のラグビーの試合は本当に好試合で、手に汗握るシーソーゲームが繰り広げられた。