にちようび、かいせい。にゅういんしているあいだずっとろくじまえにおきていたのでいえでもそのしゅうかんでめがさめてしまう。ぼくがもそもそしていたりおしっこにいったりするからHさんもおこすことになる。かのじょはよるのいつかのだんかいでべっどとさかさまにねているから─これはえあこんのかんけいらしい─うでのよこにあるあしをぺちぺちたたいたりあしゆびをつまんだりしてみる。けいたいをいじったりしょうわかようのいっせつをくちずさんだりする。しちじはんにかいかにおりてHさんがしりのかいふくきにあるぼくのためにおかゆをつくってくれる。それにちりめんさんしょうをすこしたらしてたべるとびみです。おりんぴっくのにゅーすをなんとはなしにながめるがそのうちてれびをけす。
じゅういちじにしゅっぱつしておとうとのすむまちのちかくのこうえんにいく。えんないにあるかふぇでらんち。こもれびのしたでたべるとじつにいいきぶん。るーろーふぁんがめにゅーにあったからHさんとたいわんのこのけいしょくについておしゃべりする。そのごちかくのしょうぎょうしせつではんがくになっていたいいいろのみどりのすーつけーすをかう。「とても结实です」とかのじょよろこぶ。「きょうきているふくとおなじ颜色だね」というとほんとねとさらにかおをほころばす。このたびのきこくようにつかうのだ。いままでつかっていたやつはきゃすたーがふたつもいかれてやすものだったがちゅうごくせいはだめだねとHさんはいう。いいいろのみどりはにほんせいだからいいねという。ものによるんじゃないとぼくもいう。このみどりをかんじであらわすと碧というじになるとおもう。こうゆういろのうみをひとみにしみこませたいとおもう。それにしてもこんなんなじょうきょうかでのきこくということになりHさんもなやましいだろう。かくりのきかんがのびるとか。かえりぎわにいとうえんのかふぇすぺーすでまっちゃぱふぇをぱくつく。Hさんはつめたいからとえんりょする。Mにおとこはすいーつにがてなひとがじぶんもふくめおおいみたいにいいでもすいーつだんしみたいなのもいるよねといわれじっさいぼくはわりかしすいーつだんしでした。Mとのおしゃべりがたのしくてときたまてきとうなことをくちばしってしまう。そんなぼくのこころにきょらいするのはころなかといういじけてがまんをしいられるじかんをかのじょとのおうせがはなやいだものにしてくれているということ。じかいあうときはやっぱすいーつくおうぜ。すーつけーすのなんばーろっくをHさんはいいいろのみどりにちなんだしゃれたものにした。よじきたく。