川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

おいしいたべもの

f:id:guangtailang:20200708212414j:imagef:id:guangtailang:20200708212422j:imageくもりときどきあめ。きょうふう。とうきょうはそのていどですんでいますがきゅうしゅうにつづいてぎふやながのでかせんがはんらんしてたいへんです。せんじょうこうすいたいはおそろしい。つゆといえばしとしとあめがふるというふぜいはもうむかしのはなしかな。

きょうははんにちそとをあるいていたようなかんじでりゅっくをせおったせなかにあせをかいてうんどうしたなあとおもいました。ゆうがたにきんじょのひとからあさくさでんぽういんどおりのみせのゆうめいなくろげわぎゅうかれーぱんをもらってすぐにむしゃむしゃほおばりました。ほうじゅんなあまみがあってこれはくせになるあじです。かんこうきゃくのすっかりいなくなっているいまならならばずにかえるかな。でもあさくさはかんこうきゃくでなりたっているまちなのでいんばうんどふくめはやくいぜんのはなやぎにもどってくれないとしょうばいはしかつもんだいです。おいしいたべものつながりでいえばしごとじょうでずっとおせわになっているすいどうこうじやのしゃちょうさんがわざわざいずしもだまでいってまあじのひものをかってきてくれました。じゅうびくれたのでりょうしんとごびずつわけました。ぜつみょうのしおかげんでびみでした。しゃちょうさんはこのみせのひものがだいすきでふとおもいたったらひがえりでしもだまでゆくのです。ちょこちょこどらいぶしているぼくもしもだひがえりはたいへんだなとそうぞうするのですがそもそもしゃちょうさんはいずがすきだということがあるとおもいます。すきなばしょにすきなものをかいにいくのだからくにならないのかな。それにかんれんしてこんなこともかんがえます。しゃちょうさんのるーつはにいがたのとおかまちにあるときいたことがありそれでかえっていずのようなばしょがすきなのかな。やまのなかのゆきぶかいとちとあかるいうみにめんしたとちはこうたいしょうをなすとおもいます。なにはともあれかれーぱんとまあじがおいしかったのでころなでややもするとうっくつしてしまうきもちがぎゅーんとうわむきになりました。にんげんなんてたんじゅんなものです。

はなしはかわりますがしょくぎょうちゅうごくじんのむいむいさんとへんたいぶんがくだいがくせいのおにさん。このふたりのどうこうをえすえぬえすをとおしてちゅうししているきょうこのごろです。ふたりについてかたればながくなってしまうのでまたのきかいにゆずりますがひとつだけかんようなてんをあげるとすればぼくがふたりにかんじるのはかならずしもいけんやしゅみのいっちしないしゅういのひとたちにたいしてもせいじつにせっしかぶそくのないへんとうができることとそんなしゅういによういにまどわされないきょうじんなせいしんのじくをもっていることこれです。ぜんしゃはようするにきょうようがあるということだとおもいます。こうしゃはようするにじぶんではっこうできるということだとおもいます。ぼくはいっかいのそうねんにすぎませんがかのじょたちのとしごろにきょうようもたりずみずからのはっこうするひかりもよわかったようするにふてっていだったことをおもいかえすとじくじたるきもちなんかよりもはるかにあなたたちのようなひとにこころのなかでぬかずきながらそんなことはおくびにもださずたいとうにおはなしがしたいとねつぼうするきもちがわきおこるのです。このきもちはみすぎよすぎするなかでかくべつにかがやいています。