くもりときどきあめ。きょうふう。とうきょうはそのていどですんでいますがきゅうしゅうにつづいてぎふやながのでかせんがはんらんしてたいへんです。せんじょうこうすいたいはおそろしい。つゆといえばしとしとあめがふるというふぜいはもうむかしのはなしかな。
きょうははんにちそとをあるいていたようなかんじでりゅっくをせおったせなかにあせをかいてうんどうしたなあとおもいました。ゆうがたにきんじょのひとからあさくさでんぽういんどおりのみせのゆうめいなくろげわぎゅうかれーぱんをもらってすぐにむしゃむしゃほおばりました。ほうじゅんなあまみがあってこれはくせになるあじです。かんこうきゃくのすっかりいなくなっているいまならならばずにかえるかな。でもあさくさはかんこうきゃくでなりたっているまちなのでいんばうんどふくめはやくいぜんのはなやぎにもどってくれないとしょうばいはしかつもんだいです。おいしいたべものつながりでいえばしごとじょうでずっとおせわになっているすいどうこうじやのしゃちょうさんがわざわざいずしもだまでいってまあじのひものをかってきてくれました。じゅうびくれたのでりょうしんとごびずつわけました。ぜつみょうのしおかげんでびみでした。しゃちょうさんはこのみせのひものがだいすきでふとおもいたったらひがえりでしもだまでゆくのです。ちょこちょこどらいぶしているぼくもしもだひがえりはたいへんだなとそうぞうするのですがそもそもしゃちょうさんはいずがすきだということがあるとおもいます。すきなばしょにすきなものをかいにいくのだからくにならないのかな。それにかんれんしてこんなこともかんがえます。しゃちょうさんのるーつはにいがたのとおかまちにあるときいたことがありそれでかえっていずのようなばしょがすきなのかな。やまのなかのゆきぶかいとちとあかるいうみにめんしたとちはこうたいしょうをなすとおもいます。なにはともあれかれーぱんとまあじがおいしかったのでころなでややもするとうっくつしてしまうきもちがぎゅーんとうわむきになりました。にんげんなんてたんじゅんなものです。
はなしはかわりますがしょくぎょうちゅうごくじんのむいむいさんとへんたいぶんがくだいがくせいのおにさん。このふたりのどうこうをえすえぬえすをとおしてちゅうししているきょうこのごろです。ふたりについてかたればながくなってしまうのでまたのきかいにゆずりますがひとつだけかんようなてんをあげるとすればぼくがふたりにかんじるのはかならずしもいけんやしゅみのいっちしないしゅういのひとたちにたいしてもせいじつにせっしかぶそくのないへんとうができることとそんなしゅういによういにまどわされないきょうじんなせいしんのじくをもっていることこれです。ぜんしゃはようするにきょうようがあるということだとおもいます。こうしゃはようするにじぶんではっこうできるということだとおもいます。ぼくはいっかいのそうねんにすぎませんがかのじょたちのとしごろにきょうようもたりずみずからのはっこうするひかりもよわかったようするにふてっていだったことをおもいかえすとじくじたるきもちなんかよりもはるかにあなたたちのようなひとにこころのなかでぬかずきながらそんなことはおくびにもださずたいとうにおはなしがしたいとねつぼうするきもちがわきおこるのです。このきもちはみすぎよすぎするなかでかくべつにかがやいています。