川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

親密さ

f:id:guangtailang:20210126193111j:image昨晩、ファさんが3階から呼ぶので傍らに行くと、スマートフォンの画面に彼女の諸曁の母親が映っている。挨拶してと身振りで示すから、「晩上好」と小さな画面に向かって言った。母親はにこにこして何か喋っているが、彼女が話す呉方言は、申し訳ないが私にはまるで聴き取れない。「チャオタイラン、ワンシャンハオ(抄太郎、こんばんは)」と隣りから挨拶してくれたのはファさんの妹だ。画面がスクロールし、妹が映る。彼女はワンタンか何か、緑色の皮で餡を包んでいる。この人の普通話はわかりやすい。「晩上好」と私。さらに画面がスクロールし、ファさんの父親が映った。やはり緑色の皮で餡を包んでいる。「晩上好」と私が言うと、うんうんという感じで軽く頷いている。1時間遅い向こうはこれから晩飯かな。『バーニング・アイス 無証之罪』(2017)を観ている最中の私はそれで階下に降りていった。

今日。昼飯を食っていると、ファさんが急に「昨日のあたしの父母に対するあなたの態度はちょっと失礼(不懂礼貌 ブドンリーマオ)しちゃってたわね」と言う。「え、何が。ちゃんと挨拶したろうよ」と返したが、あ、そうか、挨拶したあとにすぐその場を離れて、テレビドラマを観に去ったからかと思った。しかし、つづく彼女の言葉によるとそれは違うのだった。「あなたは父母に〈爸爸,晚上好〉、〈妈妈,晚上好〉と呼びかけて挨拶するべきだった」。私はワンタンスープを飲みながら、しばし黙考した。そうだった、たしかに大陸では相手にそのように呼びかけることが、より親密さを感じさせる挨拶表現になるのだ。日本であれば義父や義母に挨拶するのに「こんばんは(晩上好)」、これが失礼になることはないが。失礼というかこの場合、〈素っ気ない〉あるいは〈他人行儀〉と言った方が適切かもしれないな。たとえば、私が向こうに行ってファさんの身内に会うと、「チャオタイラン!」と名指して呼びかけられ、それが親密な間柄にある者同士の挨拶だ。ファさんの朋友でようやく私に「ニィハオ、ニィハオ」である。ビジネスの現場じゃないから、初対面でも「你好,你好」。「初次见面,请多多关照」は向こうでいちかいも耳にしたことがない。『無証之罪』劇中でも、親密な間柄にある者同士の挨拶は無論のこと、会話中もやたら相手の名や愛称で呼びかけている。文脈上、必要だから相手を名指すんじゃない、頻繁に呼びかけることで親密さを醸成する。これこそが礼儀である。日本ではあまり見られない文化習俗だ。「不好意思啊,以后我要注意」と私はファさんに謝りました。