ハルビン3日目。朝、ホテルの窓から外を覗くと路面が濡れていて雨だと知る。短髪で太ったいかにも東北人(ドンベイレン)といった感じのタクシー運転手はじきに止む雨だから楽しめ、あんたらは広東人かと言う。Hさんが浙江人だと答え、僕も南方人(ナンファンレン)のふりをする。
中央大街の石畳の道は濡れていても滑らない。オレンジの合羽を着た老人たちが端で一所懸命に排水の作業をしている。北に歩を進め、スターリン広場に到った。
傘を差しながら松花江の対岸に目をやっていると、不意に話しかけられた。「こんな天気じゃ向こうにも渡れないし、違う場所に行った方がいいかもな」。見ると、僕と目線の高さのそんなに違わない制服を着て帽子を被った(といって公安でもない)中年男が妙にねっとりと横に立っている。Hさんと二言三言話し、僕らはその場を離れ、細長い公園を左に歩き出した。しばらく行くと小屋が建っていてコーヒーでも飲めるかと思ったらそうでもなさそうだ。来た道を戻る。すると、いつの間にやら小柄な中年男が僕らと並行して歩いている。「どこから来たんだい? 広東人?」適当にあしらう。その後も男はハルビンの名物はなんだとか話しながらついてくる。そして、これは帰国した今もメモ書きでスマホに残っているのだが、「ハンディジェンバオ」という場所がオススメだとか言っていた。
防洪勝利記念塔のところまで戻り、信号待ちをしているとまたもや別の中年男が傘を差しながらねっとりと横に立っていて、「雨が止まないな。違う場所の方が楽しめるんじゃないか。ほら、そこにタクシーがいる」とか妙に押しつけがましく言ってくる。この時点で僕らは顔を見合わせた。じゃあ、行くかとタクシーの停まっている方向に歩き出す、と見せかけて素通りし、そのままスタスタと商店沿いの道に逸れていった。「哈尔滨人这么热情(ハルビン人はこんなに親切なのか)?」と皮肉を込めて僕が言い、Hさんが振り返ると「見てごらんなさい、あの信号の男は青なのに渡らずに携帯を弄っている!」。
横にはねっとりと並行して禿げの中年男が歩いている。「雨が止まないねえ」。僕らはもう一切相手にせず、早歩きで道を進んだ。150メートルくらい来ると禿げの姿はどこにもなかった。僕らはさらに進み、途中で中央大街に復帰した。
「どこで怪しいと思った?」「決定的だったのは、あの信号の男よ」「今、遡って考えてみれば公園の男も随分とおかしかった。なんだよ、ハンディジェンバオって」「最初の男と信号の男は顔や背格好が似てた」「松花江沿いの男か。兄弟じゃないの。じゃあ、タクシー運転手は?」「あれもグル。どこに連れてかれるかわかったもんじゃない」「中央大街まで連れてきてくれた運ちゃんは?」「あのおでぶちゃんは違うでしょ」「まあ、いずれにしろ俺たちは騙されなかった。中国人骗中国人(中国人が中国人を騙す)」。
雨もあがった。
僕たちはホテルの名前の入った臙脂色の傘を差していて、きゃつらにしてみれば恰好のターゲットだったのだろう。そんなことにも思い至った。
帰国する日、空港に向かう道すがら、ガイドにスターリン公園での出来事を話した。広東人の旅行者と思われたのなら、金を持っているイメージがある。もしタクシーに乗っていたら変な店に連れていかれ、無理やり高額の商品を買わされていたかも。ハンディジェンバオなど聞いたこともない。スターリン公園周辺に一味がかたまっていたのは、中央大街には公安がたくさんいるから。
車窓を眺めながら思った。もし中国人のHさんがおらず、中国語が多少喋れる程度の日本人観光客として独りできゃつらと対峙していたなら、騙されてひどい散財をしていたかもしれない。いや、今の僕ならそれはないな。小日本鬼子ぐらいわかるよ、莫迦野郎!
