川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

パーラートチギ並びにばんどう太郎小山50号店

とにかく風の強い日だった。東京も凄かったが、ばんどう太郎小山50号店の窓からのぼり旗がすさまじく捻じれているのを見ても、こっちは桁が違うと思った。

f:id:guangtailang:20230227110238j:image例幣使街道の名は吉村昭『天狗争乱』で知ったのだ。記憶だけで書くが、筑波山で挙兵した天狗党は例幣使街道の人家に火つけしたり強盗をはたらいたりした。そののち大平山に立て籠もる。最期、敦賀のニシン蔵に閉じ込められて、そのあまりの劣悪さに近隣の加賀藩の者があまりむごいことをなさるなと苦言を呈する場面があったはずだ。仮にも吉村先生の著書を出して、こんな胡乱な書き方は良くないのだが。

f:id:guangtailang:20230227110227j:imageパーラートチギ。レトロと呟いてしまいにするには立派過ぎる建物だ。昔何を営んでいたのか(調べればわかるだろうが)、現在内部はリノベーションされて理髪店のように清潔だ。2階に上がる階段はかなり急で、これはやりようがなかったのだろう。脚の不自由な客は難儀すると思うが、そういう人は1階を利用すればいいのであって、飲食物を運ぶのに上り下りする店員が大変だろう。僕はトイレを使わなかったが、1階階段横にあるそれと表示されたガラス扉も趣きのあるものだった。

f:id:guangtailang:20230227110231j:image僕らは2階に案内された。電球がいくつか灯っているが、外の光に慣れた瞳には一瞬暗いと感じる。が、それもすぐに慣れるし、窓際の席なので柔らかな光線が内部に流れ込み、モノみな明るませている。まあ雰囲気たっぷりというわけだった。

f:id:guangtailang:20230227110234j:imageここで閃いたのが、Hさんの部下でGという人が小山在住なのだ。彼女は吉林省出身の中国人で、あとで聞いた話によれば20歳の時にすぎのやの厨房で働く夫のところに嫁いだというから、日本語はHさんよりだいぶ達者だった。マダムHがここから小山までどれくらいと訊くから、クルマなら目と鼻の先だと答えた。それで早速Gに連絡をとった。Gは最初びっくりして、娘ふたりも狂喜しているといちご狩りを予約しようとしてくれたが、すでにいっぱいだった。夫は今日もすぎのやの厨房。

とりあえず一緒に昼飯を食おうとなって、和食を所望する僕らにGがばんどう太郎を提案してきた。異論なし。それで13時半に待ち合せをし、東進した。相変わらず車体が左右に揺さぶられるほどの強風である。小山といえば実は僕にもゴリラ商會(仮名)という看板屋をやっているSという友人がいる。彼の工場は令和元年の台風で思川が氾濫した際に甚大な被害を受け、移転を余儀なくされた。彼は〈そういえばこんなものを食べました〉という言葉とともにSNSにさまざまな昼飯をあげることを趣味にしている。窓外にだだっ広い平野を眺めながら、ここにかいなの太いあの男も住んでいるのかと感慨がわいた。Gの暮らす家も市街からは少し離れたところにあるという。

ばんどう太郎小山50店にほぼ定刻通りに着き座敷に通されると、15分ほど待っていたが一向にG母娘はあらわれない。〈彼女が(ラインで)送ってきた店だから間違えるわけないよな〉と僕。Hさん入口まで行ったり来たりを繰り返す。レジに话梅(フワメイ 干し梅)があるからあとで買うわと、その辺ちゃっかりしている。次々に客が入ってくるので今度こそかと思うが違う。そのうちGから連絡が入り、先に注文して食べてくださいという。結局、G母娘が来たのは僕らより30分以上遅れてだった。その理由。〈わたしのイメージはここじゃなくてあっちでした〉。地図や住所という以上にイメージの錯誤か。この一帯ではそれほど近接してばんどう太郎の店舗があるのか。

f:id:guangtailang:20230227110224j:image娘ふたりは10歳と8歳になっており、上の子はテニスを始めたらしく髪を短く刘海(リウハイ ぱっつん前髪)に、下の子はHさん曰くGにそっくりだと。これも母親の手により刘海にされていた。前回会ったのは2年前、ネモフィラの時期の海浜公園だったはずだ。大人たちが互いにぱしゃぱしゃ写真を撮り合い、子供たちは退屈そうにしていたので、壮年は遊園地のチケットを束で買い、子供たちと一緒にアトラクションを楽しんだのだ。途中、雨が降ってきたがお構いなしだった。こういう記憶は子供たちの脳裡に印象深く刻まれるようで、この娘ふたりにとっても僕らに会えると聞いて、愉しいイメージが呼び起こされたらしい。