川の照り

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

閑雅な午後

f:id:guangtailang:20221103223818j:image今年は詩人萩原朔太郎の没後80年でいろいろのイベントをやっているみたいだ。僕は詩というのはほとんど読まないのだが、この人と建畠晢松浦寿輝は読む。

ある休日、池袋西口北でHさんと落ち合って、先日改装中で空振りだった火焔山で昼飯を食う。その後ルノアールで小一時間お喋りし、〈你看(見てみ)、窓ガラスに1957年からやってると書いてある。日本にはこれほど珈琲文化があるんだから、中国の咖啡がまだうまくなくても仕方ないんじゃないか〉とある瞬間言ってみる。これはHさんが向こうに帰るたび咖啡の味道に失望したと言っているのを念頭に置いてのことだ。約束があるHさんと別れ、ひとり巣鴨で降りた。大正大学附属図書館で萩原朔太郎大全2022に関連したイベントをやっているらしいので見ようと思って。

大学は実は西巣鴨が最寄りらしいのだが、お天気もよかったし少し歩いた。が、意外に距離があった。東京の東に住んで長いが、巣鴨〜西巣鴨は日暮里〜西日暮里とはわけが違うと今更知った。途中、都電荒川線の軌道を越えていく。停車場は新庚申塚

館内のイベントは正直たいしたことなかったのだが、2年前に開館しただけあってガラスをふんだんに使った吹き抜けもある内部は清潔且つ壮観だった。書棚が多過ぎるのか空のスペースも散見された。僕の子どもでもおかしくない年齢の男女が静寂の中で学習している。母校の図書館は通った記憶もないが、ここでは僕は念入りに端から端まで見て回った。46歳の徘徊するおっさんをすれ違う大学生が気にしている様子はない。扉に時間札をぶら下げた(たとえば〈15:30〉とか)個室もあり、集中できそう。即断するわけじゃないが、自分の大学時代と引き比べて近頃の若者は立派だ。

帰りは都電荒川線三ノ輪橋まで乗った。萩原朔太郎的な帰り方。

f:id:guangtailang:20221103223826j:image時間が少し遡る。日曜日に久々ちょっと遠出をし、また鹿島灘海浜公園に来た。この時の海辺は寒くもなく暑くもなく、撫ぜるような微風が吹いていた。芝生のベンチにふたり座って太平洋と対峙し、互いに首や肩のマッサージをやり合った。思わず目をつむって波の音だけ聴くような具合になる。なんという閑雅な午後があるのだろう。

ちなみにこの照片(ヂャオピェン 写真)のように中国人妻の前で緑色の帽子をかむってはいけません。これは完全な僕の失敗です。

f:id:guangtailang:20221103223829j:image時間はさらに遡る。海浜公園に行く前に助手席のHさんが空腹を訴えるので、また和食レストラン竹水の駐車場に乗り入れた。窓際の席につくと、いつもの女性店員がブラインドを下げてくれる。自宅から随分遠いのだけれど行きつけというか、なんかもう安心感があるな。

f:id:guangtailang:20221103223822j:imageこれが冒頭に戻って火焔山。Hさんが隣りのテーブルを指差し、さらにはその席のでっぷりした中国人に話しかける。彼が答える。それでわれわれも羊骨头の注文が決まった。この店は当然に中国人の客ばかりだが、僕は日本人なんすよとばかり日本語でHさんに喋りかけ、その上で服務員に対しては蘭州拉麺のトッピングや麺の太さ、羊肉串のオーダーで中国語も少しわかるんですアピールをする。なぜだろうなぜならば。

今はほとんどなくなったけど、結構前はこういう店の中国人同士の会話で日本人や日本国の悪口みたいなのも聞いたしね。ついポロッと出た感じで悪気もなさそうだったけど。日本人も海外でやってそうだけど。そういうのを強いて聞きたくないからアピールしている気もするが。まあでも近頃の日本に在住する中国人(特に若人)はソフィスケイトされていると感じる。  

羊骨头めちゃくちゃうまかった。タレがよい。明日にでもまた食べに行きたいくらい。