川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

夕陽の波にタイプライター

テストステロンの値の高い男たちを見て一時的に気力が湧いたのだが、昨日の晩はまた妙に心身ともに萎れていたというか、何があったわけでもないのだが、肉体鍛錬をやる気力もなかった。ただ、ぼけーっと偏愛している『スローなブギにしてくれ』(1981・藤田敏八監督)を見ていた。もう何回目だろう。次に言う台詞を先回りして呟いたりもした。

f:id:guangtailang:20210408212742p:plainこの夕陽の波にタイプライターのオーバーラップは映画のだいぶ後半に出てくるのだが、ほとんど泣きかけた瞬間だった。美しいよなにせ。

f:id:guangtailang:20210408212850p:plainこれは序盤。福生アメリカンハウスに住む中年さんにん。男ふたりに女ひとり。一般的な〈家庭〉を否定した奇妙な共同生活とも言うべきもの。他に浅野温子古尾谷雅人の若いカップルが描かれ、それが〈ムスタングの男〉たる山崎努と絡んでくるのだが、若い世代はカット。なんとなれば、私自身がこの映画の山崎努と同い年なのだから、そっちが断然気になる。

f:id:guangtailang:20210408212935p:plain「性病予防週間は終ったか?」という章を開いて読書する原田芳雄は山崎の帰宅とともに本を置き、会話する。それを聞いていれば、中年さんにんの関係がなんとなくわかる。山崎のスリムなボディ。「よく見ると味のある顔してるよなあ。少しいかついけど。敬子が惚れるのもまあわからなくはないな」。

f:id:guangtailang:20210408213012p:plain女は子どもを産んでいる。その子どもが山崎、原田どちらの子かわからないという。それでふたりして養育費を払っている(しかも育てているのは女の妹だ)のだが、山崎によって原田は詰問される。「敬子からちょっと聞いたけど、おまえ、先々月分の10万円もまだ払っていないんだって?」「決めたんだからな。金払わないんだったらあんたただの居候に過ぎんのよ」。

f:id:guangtailang:20210408213104p:plain原田は夜のジョギングを日課にしている。役名の宮里が刻印されたジャージがユーモラスを醸す。しかも素肌に直接着るというね。山崎は少し考えたのち、金を立て替えてもいいと原田に申し出るが、原田はそれを断り、ジョギングに出発する。スローモーション。虫の音。原田は心臓発作を起こし、米軍基地のフェンスに凭れかかって野垂れ死にするだろう。

ちなみに会話中、山崎と原田の視線が同じ高さで交差ないし対峙するということがないのだった。片方が座っており、もう片方が立っている、あるいは向いている方向が違う。どちらかが別室に移動する。

f:id:guangtailang:20210408213201p:plainムスタングの男。このクルマは現在マスタングと表記されるらしいが、それは外来語発話のゆらぎの範疇だろう。この男、家庭を顧みず(離婚調停中の妻と子どもがいる)、身勝手極まりないと言えば言える(しかしこの男が劇中二度の涙を流す)のだが、考えてみたいのは、男にムスタングの男のような欲望が萌さなかった者がいるのだろうか。欲望に忠実に、行動するかしないかの違いではないのか。想像するだけにして、欲望を押し止めて家庭の安寧を保つ、そうするには彼はムスタング過ぎた。

f:id:guangtailang:20210408213300p:plain知的淫乱という言葉を吐かれて、怒りの表情をみせる浅野。今度は男ひとり女ふたり。そう嘯く女に、「それでおまえの中でバランスがとれるのか?」。道徳などどこ吹く風で生きている人たち。しかし道徳が生の充実を保証してくれるわけでもない。

f:id:guangtailang:20210408213329p:plainこの苦み走った山崎努氏が現在の私と同い年とは到底思えない。タイプライターは浅野が仕事で使っている。彼女は躰の不調が増して、親の具合も芳しくないことから、妹と子どもを連れて郷里に帰ることにする。残った山崎は野良猫のような女をムスタングの助手席に乗せて埠頭から海にダイブし、自分だけ助かる。

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今週末にはテストステロンの値の高い男たちがまた見られる。刮目して見る。