川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

今回の感想

『ジャンプ』(2004/竹下昌男監督)は4年前に観て、その時ちょっと考えさせられた。ただ、このたび再見して前回の感想を読むと、見方がかなり違う部分がある。また、単純な事実誤認もあった。酒飲みながら書いたのかな。まあ、今も少し飲んでいるけれども。過去の文章を引用しつつ、今回の感想を書いてみよう。

【以下、ネタバレあり】

愛している女がある日、りんごを買ってくると言って出かけたきり男の前からいなくなり、音信も途絶える。男はしゃにむに捜索を始め、手がかりはぽつぽつ見つかりはするものの、女の居場所までは辿り着けず、なぜ自分の前から女がいなくなったのかその理由も一向にわからず、懊悩する。そんな男を陰でみつめているもうひとりの女がいる。

外形的にみると、これはたしかにそうなんだ。原田泰造演じる三谷はまっとうな言動をする男で、6ヶ月つきあっている恋人が急にいなくなったら、誰しもこういう風になるだろう、こうやって必死に探すだろうというサマを抑制的に演じている。そりゃ、仕事なんて手につかないよ。表情は険しくなり、憔悴し、懊悩する。

2004年公開のこの映画で、男・三谷を原田泰造、女・みはるを笛木優子、そして、もうひとりの女・鈴乃木を牧瀬里穂が演じている。先日、同じ竹下監督、同じ原田主演の『ミッドナイト・バス』(2018)を観た身としては、またふたりの美麗な女のあいだで揺れ動く優柔不断な男の構図かよ、とにやにやしたりもする。

〈…ふたりの美麗な女のあいだで揺れ動く優柔不断な男の構図〉という言い方はおかしいな。ふたりの美麗な女と、彼女らに係わるひとりの男。ただ、男が女たちを同時期に天秤にかけてどっちなんだろうなどと迷うことはない。ひとつの愛が執着となり、その執着を断ち切ること(〈忘れるしかない〉と表現される)で別の愛の尊さに気づく。

さんにんが一堂に会する場面はない。ふたりの女が対面したとて男をめぐって火花を散らす様子もない。

みはるは前述のような具合で、基本的に映画の冒頭と終盤にしか出てこないが、こういう人はある日突然失踪してしまうかもなあと思わせる、どこか儚げで安定しない雰囲気が笛木にはある。鈴乃木はいわゆるキャリアウーマンで、妙にはきはきと喋る。この映画では九州という土地が重要なので、博多出身の彼女で決して悪くない。

みはる(笛木)の寄る辺ない感じ、存在のはかなさみたいなもの。部屋の少し殺風景なこと。東京にいた頃(三谷とつきあっていた頃)はどうしようか身の振り方を考えていたのだと終盤自ら言う。これには父親の存在が係わっているだろう。この映画には鈴乃木(牧瀬里穂)、松永(光石研)、みはるの元同僚(吉瀬美智子)と実際九州出身者が多く出ており、みはるの父親(伊武雅刀)も居住しているし、勿論みはるも伊万里で5年半後に見つかるわけで、九州は重要。

三谷はみはるを愛しているが、みはるは「三谷さん」と呼びかけ、さらには線路沿いのキスの時、逡巡をみせ、自分に自信が無いと言うように、三谷の愛に応えるほどの愛を持っていない。だから、鈴乃木の三谷に対する真剣な「愛の手紙」を読んだ時、三谷の相手は自分ではないと完全に気づかされる。そもそも自分のこれからの生き方に惑いを抱いていたみはるはこの手紙に後押しされるように、三谷の前から消えた(鈴乃木の前でも手紙を何度も読んだと言っている)。

これは今回もこのように感じたな。

一方、鈴乃木は三谷の愛を獲得すべく、ある場合にはマキャヴェリズムさえ行使して(三谷から渡された企画書を握り潰す)、最終的には見事自分の望みを実現する。こう書くと鈴乃木は酷い女ともとれるが、鈴乃木の三谷へ注ぐ愛がそれだけ真剣な証左でもあり、私などはすがすがしさを感じてしまう(彼女は会社で手腕を発揮していながら、三谷と結婚するとすぱっと退社してしまう)。

鈴乃木(牧瀬)は別に三谷の企画書を握りつぶしてなどいないな。事実誤認。彼女がしたのは三谷に託された辞表を上司に渡すことなく持っており、ここぞという時彼に返し、考え直して下さいと言うのだ。このあたりから三谷の気持ちが鈴乃木に傾き始めている。今回観直して思ったのは、鈴乃木が三谷に愛情深く、忍耐強く、賢い女だということ。初見は三谷にとってファムファタールなみはるのことばかり考えてしまったが、三谷が(男がといってもよい)将来の幸福(安定?)といったものを考えた末、鈴乃木早苗と一緒になるということは、ある。

マキャヴェリズムといえば、鈴乃木が三谷の婚約者を名乗り、みはるに対して書き送った〈愛の手紙〉がそれにあたるだろう。これが決定打となってみはるは身を引き、鈴乃木は〈自分の望みを実現する〉のだ。ただ、この手紙は天竜川の駅で読まれている。あの晩すぐに読まれたわけじゃない。そこがおもしろい。

みはるはりんごを買いに走ったコンビニで急病人を助け、そこから天竜川の駅まで奇妙な偶然(縁)が重なる。

終盤、みはるの失踪から5年が経過して、ひょんなことから三谷は彼女の居場所を知ることとなる。伊万里まで行き、三谷はみはると再会する。この時、三谷はかつて派出所の警官も言っていた、日本全国で年間10万人の失踪者がいる、と一般統計を口にする。これは要するに、三谷はすでにみはるを自分にとって「特殊な個の失踪者」としてみていない、みることはもう断念したのだ、という風に受け取れる。あるいはまた、結局、おれにはおまえという人間が理解できない、という風にも。三谷には早苗(旧姓鈴乃木早苗)という妻と一人娘がいる。別れ際にりんごをふたつ買ってくれたみはるに、三谷は問いかける。あの朝、おれが出張など行かずにきみの帰りを待っていたら、運命は変わっていたか、と。みはるは答える。それでもやっぱり、わたしはここに来ていたと思う。三谷はおそらく、そういう答えが返ってくるだろうと予期していたと思う。ふたりは握手を交わして別れる。そうして、駅のプラットフォームで三谷はひとりりんごを噛る。

原田泰造はダークスーツを着て画面に映っていると立ち姿が刑事かそういう職業の人に見える。だから、捜索しているのがサマになるのだ。

追伸:今観ていて知ったが、『インビジブル』ってテレビドラマで原田泰造は捜査一課課長の役で出ているんだね。あんまり老けない人だ。若い時が老成していたとも言える。