川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

豪雨─反ボミワ宣言

f:id:guangtailang:20210313180755j:image思い出。その当時、私はまだ上野から春日通りの坂を上がった途中にある実家に住んでいた。Mという友人と週末、月に一、二度くらいだったか、上野の居酒屋で酒を呑み、その後坂を上って実家の部屋で灯りを暗くして音楽を聴きながらまた酒を呑むというのをやっていた。思えばいちばん酒に強かった頃かも。Mは小柄だったが肉体鍛錬を欠かさず、腹筋が六つに割れていた。私も体重は75以上にはならなかった。テレビのゴールデンタイムでよく立ち技や総合の格闘技の試合をやっていて、いきおいふたりのあいだでも話題に上った。氷の拳とか、ロシアンラストエンペラーの異名を取ったエメリヤーエンコ・ヒョードルがお気に入りだった。年齢も近かったし。

ある時、Mと飲みの約束をしたのだが、その日が近づくにつれて当日が豪雨になるという予報の確度が高まっていった。前日もたしか天気はよくなかったが、翌日は間違いなく豪雨になるという。その土曜日、朝から雨だったが、さほど強いものではなかった。私は昼頃に外出して、これなら夕方も予定通りいけるだろうと考えた。Mからの連絡も特にない。ところが上野の通りを歩いていると突如凄まじい雨が降り出した。その音は耳を圧し、傘が及ばない部分がみるみる濃い色に染まった。私は速足で家路を急いだ。たすき掛けしている皮鞄がびしょびしょになっている。中まで浸みているだろう。湯島天神男坂を上ろうとすると、石段の端の側溝からそれこそ滝のように水が流れ落ちてきていた。見上げた先はこんもりとして昏い。微かな恐怖さえ覚えたが、壮観な眺めだった。

約束の時刻が迫ってもMからの連絡はなかった。雨は少しも弱まる気配がない。雨だからやめましょう。デートまでの日を指折り数えていた男に、当日、女から浴びせられた一言。この女の行為を〈ボミワ〉と呼んだ友人がいる。降雨を理由とするドタキャン。他の理由によるドタキャンはボミワに該当しない。約束の時間10分前。私は防水スプレーをかけまくった靴を履き、鞄を替えて外に出た。坂を下っていく。待ち合せ場所は千代田線の駅のある天神下。雨はむしろ強まっていた。天神下が近づくと驚くべき光景が広がっていた。といって考えてみればそうなるわけなのだが、坂の上から流れ落ちてきた雨水(うすい)が天神下=坂の下に溜まって、数十センチの高さで道路が冠水していた。行き交うクルマがその雨水を高々と跳ね上げる。これは今まで見たことなかったなあと思いながら、Mを探した。彼はすぐに見つけられた。駅の構内に避難することもなく、傘を差して道路に立っていた。とっさに足元を見ると彼のスニーカーが雨水に浸かっていた。私の記憶がたしかなら足首まで水没していたはずだ。こちらの姿を認めるとMは笑った。「いやー、今日はすごい雨だねー」。