夕方、華さんと御徒町で落ち合い、羊肉スープの店へ。カウンター席の端っこに座る。客は僕以外、中国語ネイティヴのようだが、やたらみんな眼鏡をかけている。外で買った飲料を持ち込んでもここはOKだ。女の子がフラペチーノみたいなのを飲んでいる。そういえば日本の安居酒屋で、友人からプレゼントにもらったクッキーを開封してひとかじりしただけでおばさんが飛んできて、「そうゆうことやめてくれる?」と厳しく言われたことがあったな。華さんの知り合いの服務員はいないようだったが、別の服務員に華さんがオススメを訊きまくる。そして何度もスマホをQRコードにかざす。羊肉のクミン炒め。
羊肉串、羊肉の水餃子。華さんが厨房を眺めながら、冷凍だと呟く。
まあたしかにめざましい味道はないかもしれない。羊肉のスープ(羊杂汤)はうまいと思うけどね。酢をちょっと入れて。
さらに一品たのんだが、クミン炒めとかぶってしまう。いやー、スマホの画面が小さいから、と老いの微笑をしてみる。両方とも玉葱が多くて。味道はクミン炒めの方が好みだった。途中からわりかし混んできたので勘定を済ませ、じゃあ出ようかと階段を上る僕たちの背中に、师傅の「下次再过来吧」かなんかそんな声がかかったので振り向いて軽く手を上げた。
『スリリングな女たち』(田中弥生・講談社)という本は奥付をみると2012年に第一刷発行となっていて、それを買っているから9年前なんだ。僕は30代半ばだった。6人の女性作家を論じた文芸批評集なんだが、僕はこの中で言及されている小説を何冊も読んでおらず、当時わりかし斜め読みしようとして、ところが明晰な頭脳としなやかな文体、あるいはしなやかな頭脳と明晰な文体でもいいと思うが、で書かれているので、どんどん引き込まれて真剣に読んでしまった。といって、最後まで読み終えたような記憶もないから結局どこかで放擲してしまったのかなあ。それもあり得る。ただ、ある種の男性批評家が書くような饐えた匂いのする密室の独り相撲批評とは一線を画す、風通しがいいというかすがすがしい文の香りが残っている。本棚の奥を漁っていて昨日この本があらわれ、そのことを思い出した。
ある年のある時、田中弥生さんの訃報に接した。それは2016年のこと。記憶では最初、新聞の小さな訃報欄でみたはずだ。これはあの『スリリングな女たち』の田中弥生さんなのか、だってまだ若いだろうと目を疑ったが、記事を読むとそうとしかとれなかった。享年44歳。Wikipediaではなぜか死因が乳がんになっているが、肝臓がんが正確なのだろう。本名の姓は高市というのだが、それを凡庸な田中に変え、ペンネームとした。木庭を中村にした男性批評家も昔いたな。これから第一批評集にして最後の作品となった『スリリングな女たち』を再読してみようと思う。相変わらず対象となる小説は読んでいないが、批評として独立して読ませるのだから問題ない。
僕は田中弥生さんの年齢を超えて今日45になったが、彼女の文章を読んだら己の頭脳の働きがいかに鈍くて雑なのか思い知らされるだろう。そして、彼女の穎敏な頭脳がこの地上から失われたことを一層惜しむかも知れない。どうしようもない。それでもしなやかで明晰なものに触れたい。それは僕にとって喜び、というか憧れだな。同じうお座ってだけで嬉しいです。