三崎公園内にある潮見台。海の上に張り出してスリルがあるとのことだが、抄太郎は30分ほど前に登った塩屋埼灯台の方がよほどぶるっとした。風が強いし、空と海の茫漠たる広がりに吸い込まれそうになるから。
灯台まで自宅から200kmと少し。朝8時前にラオワイを発進させ、すいすいと高速を走る。今日はファさんと別行動なので、一度も休憩はしない。10時過ぎにいわきに着いた。が、下に降りてからナビが変な案内をし始める。道路のきれいなのと右側の景色をしばらく眺めるうち、ああ、震災復興の工事で道自体が変わったのだなと合点がいった。ラオワイの古いナビデータに出てくるわけがない。
本日11月1日は灯台記念日なんだそうだ。それで8日までを〈海と灯台ウィーク〉とし、参観料が無料。入口で青い制服を着た男女(海上保安庁の人だろう)が参観者を迎えている。抄太郎もバッヂをもらった。下の駐車場が混みあっていたのもそうゆうわけだった。
日本最初の洋式灯台である観音埼灯台の起工日が、1868年(明治元年)の新暦で11月1日(旧暦では8月30日)であることにちなみ、1949年に海上保安庁により制定された。
今年で152年目。1がみっつ並ぶのは、図形的に新旧の灯台が屹立しているように見えなくもない。今日のお天気だと白亜が実に映える。ガラスと鉄とレンガ、そしてコンクリート。灯台は日本の近代化遺産の代表的建築物である。
いわきは勿来の海を舞台にしたロマンポルノに『ひと夏の秘密』(1979・武田一成監督)というのがある。言及されることは少ないが、個人的には埋もれた佳作だと思っている。紺碧の海を見ながら、この映画のことを思い出した。髪がふさふさの田山涼成が見られる。
初代塩屋埼灯台は1938(昭和13)年に起こった地震(塩屋崎沖地震)で破損した。その後改築されたが、大戦末期にたびたび米軍の標的となり、再び破損。灯台職員も殉職した。1957(昭和32)年、前年に発表された塩屋埼灯台長夫人の手記を元に製作した『喜びも悲しみも幾年月』(木下惠介監督)が大ヒットする。
初代は太くて大きかったんですね。
岬にはボンネットバスが似合う。
いわき・ら・ら・ミュウで海鮮丼。正午ぴったりに着いたが、いちにんなのでカウンターに座れる。味噌汁の碗の方がでかい。この施設の隣りにできたイオンは津波災害後の開発事業として誘致されたという。
「ら・ら」はキラキラと輝く海のイメージ、「ミュウ」はいわき市の鳥であるかもめの愛称から来ている。
同じくら・ら・ミュウにて、郡山のウイスキーお試しセットと昭和然とした箱のデザインに惹かれて桃しそ巻を買う。その後、北茨城まで下の道を走ったのは、以前ファさんと泊まった磯原のホテルの前を通りたかったからだ。あんこう鍋食べたいなあ。できることならどぶ汁で。帰宅後、調べてみると土曜日の宿泊はすべて埋まっていて困ったなあ。
帰りもすこぶるスムースに高速を走る。午後4時帰宅。