鶴岡抄太郎はいすみ市の大原漁港近くで昼食をとろうと、旭市からひたすら九十九里を南下した。重苦しい雲の垂れ込めたいちにちだったが、それでも海岸沿いの直線道路を走るのは気持ちよく、海側のウィンドウを開け放った。全長66kmに及ぶという九十九里を端から端まで走破したことになる。帰りも同じ有料道路を通ったから、その×2だ。店の駐車場にクルマを駐めると、ちょうど正午だった。
伊勢海老を是が非でも食いたいとまでは思っていなかったのだが、九十九里を走るのとセットで大原漁港の伊勢海老が閃いてしまった。閃いてしまったら俄然食いたくなるのが人情というもの。
器械根。不思議な名だと思う。器械体操の器械だからね。ちょっと調べてみよう。
いすみ市の沿岸には器械根と呼ばれる磯根（漁場）があります。 大原漁港から10数キロ沖に広がる水深20メートル前後の岩礁群であり、大きさは約120平方キロメートルの広さがあります。 器械根付近では、ちょうど北上する暖流の黒潮と南下する寒流の親潮がぶつかりあう所であるため、 良好な漁場が形成され、多種多様な魚介類（アワビ・タコ・イワシ・アジ・タイ・ヒラメなど）が生息しています。
※かつて器械潜水と呼ばれる方法でアワビを漁獲していたことから「器械根」という名称で呼ばれています。
辞書的な意味で器械というのは、実験・測定などに使われる装置、人の手で操作できる動力を伴わない簡単な器具のことみたいですね。
器械潜水では、潜水士は「カブト」と呼ばれるヘルメットをかぶり、布にゴムを貼り付けた潜水服を着用して海中に潜りますが、潜水士のヘルメットには空気筒が連結されており、海上の船に据えられた空気ポンプから、この空気筒を通してヘルメット内へと空気が送り込まれることになります。そして、潜水士は、浮力で体が浮き上がらないようにするため、重い潜水靴を履き、胸には鉛製の錘を掛けていました。
いちにんで食いに来ている客は少なく、複数人で浜焼きをやっている客が多い。伊勢海老の焼ける香ばしい匂いが店内に充満している。鶴岡は浜焼きを所望しなかったので、20分ほど待ったのち、浜焼きの道具の無い2人席に案内された。伊勢海老天丼、2,800円（税別）。食べ終わって、今年中にあと一回、外房の伊勢海老を食いに来たいという欲望がむくむくと湧いてきた。次回は刺身がいいな。
帰りに太東埼灯台に寄る。調べたら、3年前の8月に来ている。灯台であるからして断崖に立っているが、上り下りする道が狭隘で、離合が困難なので注意が必要。ちなみにかつて崖崩れがあり、今立っている位置は内陸に少し移動しているのだという。
大原方面を望む。いすみ市人口3万5千7百余。仕事で付き合いのあったハウスクリーニング業者のＮ氏がこの土地の出身だった。毎年末に事務所1階部分のガラスや外壁を掃除しにきてくれ、決して代金を受け取ろうとはしなかった。胡麻塩頭にいつも照れ隠しの笑いを浮かべ、毎日の腹筋を欠かさず躰は引き締まっていた。年賀状は鉛筆書きで、松戸の木賃アパートから届いた。しかし寄る年並みには勝てず、ある日、作業着でない姿で事務所にあらわれると、リタイアする旨報告された。それからしばらく経った頃、事務所に彼から電話があり、鶴岡が受けると、「Ｓさんが自殺したの知ってますか？」と意気消沈した声で言った。Ｓ氏は鶴岡の父親の同級生で、Ｎ氏とは親友だった。Ｎ氏が足立区のショッピングモールで警備員をやっていた頃に、薬剤師の資格を持っていたＳ氏はそこのドラッグストアに勤めており、共通の趣味が競艇で、行動をともにするうち仲良くなっていった。入水自殺。よく遊びに行っていた三浦半島の海で。鶴岡が渡した受話器を置いたあと、父親が「かわいそうに…」と呟いた。この表現を父親はめったに使わないので、印象深く憶えている。Ｓ氏とＮ氏の両者に対して言っているような感じだった。
そもそもなぜ旭市まで赴いたかというと、本日所用で西川口に出かけたファさんに、道の駅季楽里あさひで棒餅を買ってきてほしいと要望されたからだ。棒餅なんぞ他所でも通販でも買えるだろう、なにゆえ片道90kmの道のりを交通費かけて棒餅買いに行かにゃならん。と言ってしまえば理屈はそうだが、あさひのやつがうまいし、他所では見かけないと言う。旭市マデ棒餅ヲ買イニ行ク。おもろいやん。昔、ダウンタウンの番組で罰ゲームだったか、松っちゃんに「エビアン、汲んできて」と頼まれ、浜ちゃんが本場フランスまで行く羽目になったことがあったが…。日曜ドライブで精神衛生上ノ平衡ヲ保ッテイルコトモアリ、わかりましたと答えて、早朝ガソリンを入れにいったのだった。
渋滞に遭いながら午後５時半頃帰宅。
