お盆休み後半を日光の霧降高原に遊んだ。あまり動き廻らないでのんびりしようと考えていたが、大笹牧場に2日連続で行くとは思わなかった。Hさんのリクエストである。ブラウンスイス牛が売りのこの牧場で牛乳を飲みながらジンギスカンばかり食べた。
宿泊したホテルから程近い霧降の滝。展望台が滝からかなり離れたところにあり、こんなんだったら草木の隙間から覗ける程度でも大差ないわけです。
「ブラウン・スイス種は、スイス原産の三用途兼用(乳・肉・役用)のスイス・ブラウン種から、アメリカで乳専用種に改良された品種です。原産地のものに比べ、体型が楔型で角張っており、後躯の肉付きは乏しいのですが、乳器の形状、乳房の発育は良好で、完全な乳用牛の体型を示しています。被毛は全身灰褐色の単色で、鼻鏡と口の周辺が「糊口」といって白色になっているのが特徴です。乳量は年間約4800kgですが、年間1万kg以上泌乳するものもいます。日本にも第二次世界大戦後、アメリカから輸入されましたが、泌乳量が少ない等の理由から特徴が生かせず、当時は普及しませんでした。しかし近年になって、チーズ等の加工用に向いていることが評価され、飼養頭数は増えてきています。」(「畜産Zoo鑑」より抜粋、ふりがな・改行省略)
ホテル部屋からの眺め。標高900mだから、夕刻ともなると長袖でいいくらい涼しい。
晩飯時に栃木産日本酒の飲み比べセットをたのむ。那須烏山の東力士(あずまりきし)が気に入った。だいたいに辛口が好みなので。ちなみに小山の筋氏(すじし)という知り合いがいる。
ホテルエントランスの鹿角シャンデリア。鹿というと奈良と北海道のイメージが強いが、以前ここに泊まりに来た時、敷地内で何度か鹿を見かけたし、霧降高原にも鹿除けの扉やら柵やらあるから、野生の鹿が多いのだ。ちなみに鹿島アントラーズは鹿の枝角の意味だったか。鹿島神宮も関係あるのだろう。秋田県北東部には鹿角市もある。
天気予報は曇りのち雨といい、実際いつ降ってきてもおかしくない空色だったが、キスゲ平園地到着の午前9時過ぎにはまだもっていた。無論、僕はR地点まで登り切るつもりだったが、HさんはL地点から伸びる直線的な階段に恐れをなし、小屋で待っているという。
R地点到達。標高1,582m。階段数1,445段。さすがに一気に登り切ることはできず、展望デッキで長めの休憩を挟んだ。遠くの山並みのシルエットに目を凝らし、左下の方に見える灰色の駐車場を眺めていると充足感がやってくる。
Hさんが恐れをなした直線的な階段を降りていく。涼しいとはいえ、汗で衣服がぐっしょり濡れている。額もぬらぬらと光り、コシのない頭髪が貼りついている。
平成22年8月31日をもって廃止となったリフト。階段(天空回廊という名がついている)は25年4月1日からとのこと。高原ハウスでコーヒーを飲み、外に出ると降雨。
土・日にあたったからか、大笹牧場は盛況だ。とりわけライダーの人が多い。レストランでジンギスカンを食っていると、ぶるぶると空気を震動させて次から次へとやってくる。彼ら彼女らも飯を食うが、不思議とジンギスカンは注文しない。革ジャンでソフトクリームを舐めている者は何人も見た。
この時はわりかし晴れていたが、高原の天気は変わりやすい。ホテル~牧場のワインディングロードをどしゃ降りの中で走ることもあった。
金属の三猿(さんえん)。道化師の趣きあり。
帰路。今、問題になっている佐野SA(上り)に寄ってみる。レストランは閉まっており、軽食コーナーは一部営業している。佐野ラーメンを出しているのか。土産の品はあるが、おにぎりや飲料が著しく不足していた。
館林、近藤沼公園。ここで40分程時間を潰す。なぜか。2日前、東北道を走っている時にHさんが微信で知り合った女性がいる。その人が館林の農家に嫁いでおり、野菜を格安で販売するというので、帰りに寄るという約束をHさんがいつの間にやら取りつけていたのだった。僕はホテルの部屋でそのことを知った。こういうことはよくある。どんな人なのか訊いても彼女もよく知らない。なにしろ微信で知り合ったばかりなのだから。正午過ぎに行くと伝えたのがだいぶ早く着いたので、マップで調べておいた附近の公園にクルマを駐めて、散歩することにした。実際見てみるとなかなか良い公園なのだ。蝉の鳴き声がしきりだった。噴水の水辺で若い夫婦が幼児に水遊びさせている。川沿いのパラソルの下で釣りをしている人が多くいる。太陽を避けて緑陰の小道を歩いていると気持ちの良い風が吹き抜けていった。
正午に農家へ行くと、奥から50年配の女性が出てきて、クルマを敷地内に入れろと中国語で言う。僕のことも中国人だと思ったらしい。作業場に案内されると、日本人のおじさんとベトナム人とおぼしき研修生数人が忙しそうに働いており、恐縮した。Hさんはまったく気にせず女性と話している。しばらくすると荷詰めが終わったのか、ベトナム人は帰っていった。女性は重慶出身で、おじさんは勿論夫だった。日本にはもう16年いるというだけあって、日本語も達者だ。よく笑う明るい人である。会うまでHさんのことを上海人だと思っていたらしい。
たぶん、かたちが悪かったりして商品にならなかった野菜群を安くわけてもらった。その他に重慶女性が個人的に育てている野菜も。空心菜などカゴにいっぱい。
クルマならと新米30kgも売ってくれるといい、これが玄米だったので精米するため近所の精米所にさんにんで行く。おじさんは軽トラの荷台に商品を載せてどこかへ行った。精米が終わるのにそこそこの時間かかるのだが、そのあいだずっとペダルを踏んでいなきゃならない。室内が蒸しているので、ふたりは外に出て話している。霧降の牧場でジンギスカンを食べていた同じ時刻に、今日は館林の精米所でペダルを踏み続けている愉快を僕は感じた。
脹脛が筋肉痛。勿論、ペダルじゃなく階段のせいだ。