「弁当忘れても傘忘れるな」という格言は実のところ日本海側の多くの地域で使われており、金沢に限った話ではないのだという。それと、これは雨がよく降るという意味以上に、一日の中で目まぐるしく天候が変化する、そのことの謂いらしい。私のよく行く長岡なんかもそれに当て嵌まる。冬場は特にそうだ。とはいえ、この度の金沢・片山津温泉旅行は、この格言が身に染みる、雨に泣かされるものとなった。
上野から2時間半で金沢着。業界青年会の団体旅行(28名)なので、駅から大型バスで移動。小雨がぱらついている。まずは能登牛のランチ。バスガイドは年季の入った女性。その後、ひがし茶屋街を散策。格子の嵌った店々は、顔を近づけて中を覗かないと何屋だかよくわからない。カフェ、和菓子、伝統工藝品の店が多い。クルマが入っていて、ただの車庫なんてこともあった。鎌倉もそうだが、女同士の観光客が非常に多い。かつて栄華を極めた古都とはそういうものか。そんな中、背中にコンビーフ缶のプリントされたTシャツを着て街を闊歩するのは前会長のH氏。
金箔の蔵。現代美術のような。雨が激しくなってきた。それで当初の行程に入っていた千里浜なぎさドライブウェイを断念し、代替案として21世紀美術館に行くこととなった。団体客なのでするりと入れたが、一般客はチケット売場に長蛇の列をつくっていた。屋外の観光が不便になったので、美術館に雪崩れ込んだ感じだろうか。例のスイミング・プールは結構並んだ。油圧で上がり下がりするテレスコ・エレヴェーター。館内をぶらついていると夫婦で参加しているT氏に出くわし、彼が「こういう風に言っちゃ失礼かも知れないけど、馬鹿にしてるよね」と言った。「え、それはここに展示されている作品が観客を、ってことですか」と私は訊き返した。彼は頷く。まあ、そういう意見があってもいいとは思う。現代美術がとっつきにくいのは事実だろう。袋小路のような息苦しさがあり、事実、私も多くは面白いと思えない。ただ、馬鹿にされているとまで感じるのは、ちょっと己の感性に柔軟性が無さ過ぎるのではないか。楽しむこと、面白がることを拒否する、まるで、つまらない大人の言い訳のようではないか。バスの座席に戻った時、やはり別の人が「我々には高尚過ぎてわからないねえ」と揶揄するように言うと、W氏が「でも、どう感じるかは人それぞれですからね」と答えていて、彼の度量の大きさを感じた。
ホテルの窓から柴山潟を臨む。昨日は結局ずっと雨降りだった。これは2日目の午前6時頃で、薄日が差している。同室のT氏(さっきのT氏とは別人)が「観光って名前のつくホテルはだいたいその土地で最初の頃に建てられているから」と、老朽化した建物の外部を示す。この温泉街も御多分に洩れず寂れており、廃墟のホテルが散見された。横臥してテレビを点けると、大坂なおみ選手が全米オープンで優勝したニュースが速報で流れてきた。朝飯時、窓際のテーブルに座ると、俄かに空が暗み始めている。東尋坊に到着するまで、それまで大雨にはならないでくれと天に祈った。
東尋坊に着くと、雨は強さを増していたが、崖の先端まで行けるようだった。ただ、我々メンバーの大半は傘を差したままの歩行で、足場が滑った時の危険を考え、敬遠した。私も一瞬逡巡したが、履いているサンダルの底がスーパーグリップなのを思い出し、そのことに力を得て、かなり崖際まで行った。そこまで行くと雨だけでなく風が吹き上げてきて、万が一滑った場合、落下して絶命するイメージがまざまざと描けた。だからそれ以上、チープなスリルに身を任せるのはやめた。兼六園はどしゃ降りだった。園内を廻るガイドのお姉さんもショートカットせざるを得ない。昼飯を食べ終えた頃には、風景が白くなるほどの豪雨になっていた。店の服務員も、ここまでのは滅多にないと口をあんぐり開けて虚空を見つめていた。近江町市場。かなりの程度、観光地化されている。新幹線の乗車まで1時間あったので、有志で駅「あんと」の奥にある金沢おでんの黒百合へ。創業50年の老舗があんと内に移転したのだという。「黒百合と聞くと、おでん屋より、別の業種の店を想像してしまうね」と誰かが言った。黒百合は石川県の県花らしい。味つけは関西風というか、西の味で、さっぱりして色も薄い。うまかった。
車内。1日目の夜の宴会でついたコンパニオンのひとり、Aちゃんが米国人との混血で非常に美麗だったという話を、長いことおっさんらが撫ぜていた。自分たちの娘のような年齢だ。写真オーケーだった彼女を収めている人も多数おり、それがラインで廻った。上野に着くとむわんとして、半袖じゃ肌寒かった金沢とは10度近い気温差があるようだった。※北信越と言う区分けもあるので、カテゴリーを便宜的に「信越」にしました。