この文章は6年くらい前に書いて、なぜだか業界の支部報に載せてもらった。今読むと書き直したい箇所が目立ち、またもリライトを試みた。現在、萩原朔太郎の「乃木坂倶楽部」朗読は国会図書館のデジタルコレクションで聴けるので、いちばん下にリンクを貼った。
「前橋 詩人の声」
上越新幹線高崎駅のプラットフォームに降り立つと熱風に包まれた。ここからもう、と苦笑いし、本日見舞われる暑さに備えるべくリュックサックから濡れタオルを取り出した。
両毛線に乗り換え四つ目の駅が前橋だ。その短いあいだに利根川に架かる鉄橋を渡るのだが、郷土の詩人が詠んだ「郷土望景詩」のフレーズが断片的に思い出された。前橋とは縁もゆかりもない私だが、少々感傷的になる。北の方にはなだらかな稜線の赤城山が望め、その手前の市街地にひときわ高く県庁のビルディングが聳える。都道府県庁所在地のなかで、海から最も遠い場所にあるのが前橋、そんなことも思い出した。
駅前から伸びる立派なケヤキ並木をしばらく歩くと四つ角の歩道橋にぶつかる。私の目指すところは前橋文学館。ケヤキ並木と交差する幹線道路を越え、並木路からまっすぐつづく道をゆく。人気がほとんどない。ここまで来るあいだ、自転車に乗った中学生と背中の曲がった老婆とすれ違っただけだ。地方都市はどこもそうだろうが、わけても群馬は全国でもトップクラスのクルマ社会だと聞く。5分も歩けば着くような場所にクルマを運転していくらしい。そう思って見てみると、車道を行き交うクルマの数は凄い。烈日の歩道を帽子も被らず、滴る汗を拭き拭き歩く私を、土地の人は車窓から奇異に思って眺めているかも知れない。
右前方にガラス張りのこじんまりとした建物が見えてきた。上毛電気鉄道の発着する中央前橋駅だ。駅前ロータリーは暗渠化されているが、地下を広瀬川が滔滔と流れている。この川に沿って整備されているプロムナードが私のお気に入りだ。ここを散歩すれば、緑陰と吹き抜ける風に、容赦のない前橋の暑さをひと時忘れられる。川沿いを5分も歩けば文学館に到る。ファサードに広瀬川を跨いで朔太郎橋が架かる。袂に細面の詩人のブロンズ像が立つ。「水と緑と詩のまち」を掲げるこの文学館は、実質上萩原朔太郎文学館である。郷土詩人であると同時に、日本の近代詩史に決して欠くことのできない巨人である彼の足跡をたどる展示に、館のおおかたが費やされている。
私は二度目の来館だった。今日も常設展示室に人影はない。ただ、詩人が若い頃作曲した「機織る乙女」なるマンドリンの調べが寂しげに、細々と流れつづけている。展示室の中央に「詩人のステージ」と題された萩原朔太郎の詩の朗読を聴けるブースがある。初めて訪れた際、24篇の詩の朗読をひと通り聴いた。興味深いのは唯一詩人自身の朗読による「乃木坂倶楽部」である。「十二月また来たれり。/なんぞこの冬の寒きや。」ではじまるこの詩は、その時聴くには真逆の季節を詠っていた。戦前の録音事情ゆえ、シャー、パチパチと鳴るノイズにのって発せられる詩人の声の、やや早口の、活舌のあまり良くない、田舎じみたとも言える独特の節回しは、倦怠と疲労の色を滲ませ、この詩の言葉の連なりに見事に釣り合っていた。技巧的に優れた、折り目正しい他の詩の朗読者からは受け取ることのできない、「すでに人生の虚妄に疲れ」た男の荒涼とした心象風景を詠う達意の朗読がここにある。乃木坂倶楽部に仮寓する前後、詩人は立て続けに離婚や父の死を経験していた。「情緒もまた久しき過去に消え去」り、「家畜の如くに飢えたる」生活のなかで、それでもなお己を詩に託し、言葉として結晶化させようとするいとなみに、この人はやはり宿命的に詩人なのだ、とブースの椅子に深く軀を沈め、私はその声を繰り返して聴いた。