川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

作孽

プライム・ビデオで『在りし日の歌(原題 地久天長)』(2019/王小帅ワン・シャオシュアイ監督)を観た。

今朝、Hさんに「地久天長」ってどういう意味とペンで書きながら訊ねたら、それなら「天長地久」でしょうと言う。〈夫婦が一生涯添い遂げるみたいなことよ。でもなんでいきなりそんなこと〉〈いや、中国映画のタイトルなんだけど、それは地久天長なんだ。何か意図してひっくり返してるわけか〉。それにしても、「在りし日の歌」というのは観終わってあまりピンとこないな。映画の手触りよりだいぶ線の細い感じになっている。原題の「地久天長」のままでいいじゃない。

【以下、ネタバレあり。】

f:id:guangtailang:20230706121620j:image愛する子星星(シンシン)をなくし、夫婦は遠く福建省の漁港に移り住む。しばらくして彼らの痛みを知る女性が、夫耀軍(ヤオジュン)のもとを訪ねてくる。夫婦はもともと北方の出身なのだが、福建は勿論南方である。ここでは〈话也听不懂(言葉もわからない)〉とヤオジュンは女性に言う。そういう場所に敢えて身を置いているのだ(ふたりが居住する漁港の家がオープンで趣きがある)。Hさんの出身地浙江にもさまざまな方言があるが、福建の方言はそれに輪をかけて多様らしい。南方同士とはいえ、紹興の人と福清の人が互いに方言で喋ったら听不懂だろう。だから、北方の人にはさらにわかるわけがない。ヤオジュンと女性は関係を持つのだが、妻麗雲(リーユン)が台所仕事をしながら離婚に同意してもいいのよと呟く場面がある。女の直感だろうかとヤオジュンは女性に言うが、とても怖かった。

他方、英明(インミン)・海燕(ハイイェン)という夫婦が出てくる。彼らには浩浩(ハオハオ)というシンシンと双子のように育った子がいる。ヤオジュン・リーユン夫婦とも非常に仲が良かった。ただ、子をなくした彼らに第二子ができた時、世は一人っ子政策を行っており、ハイイェンは主任の立場で彼らを指導し、リーユンを堕胎させてしまう。リーユンは手術の影響で二度と子のできない躰になる。「作孽(ズオニエ 罪をつくる)」という言葉が呟かれる。時代は流れ、インミン・ハイイェンは社会的な成功をおさめ、ハオハオは医師になるが、3人とも罪の意識を抱えながら生きてきたのが終盤わかる。その意識が自らを突き破りそうになり、ハイイェンは病の床にヤオジュンとリーユンを呼び、ハオハオは第二の両親たる彼らに告白するだろう。

映画は時制がかなり複雑に編集されており、年代が行きつ戻りつし、頭が混乱する。ただ、ヤオジュン・リーユンという二人の顔から片時も目が離せない。中国にはこんなに素晴らしい役者がいるのかと驚かされる。180分観てきて、最後にタイトルの「地久天長」があらわれる。老いたヤオジュン・リーユン夫妻がカーテンの向こうで嬉しそうに電話の相手と話している。このタイトルはそういうものだ。だから、「在りし日の歌」ではしっくりこない。

f:id:guangtailang:20230706121623j:image中国語サークルの帰りに必ず寄る店の炸茄子(揚げナス)。