川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

自由に生きた

f:id:guangtailang:20220117090732j:image今日は阪神・淡路大震災から27年目。その日に神戸の祖母がこの世を去った。

1928年に広島で生まれている。イーストウッドよりも2歳年上だ。少女時代に被爆を経験した。結婚後神戸に移り、以後、その地で暮らした。50台の時未亡人となり、その後は自由に生きた。大震災に遭った際の泰然自若としたさまには、さすが戦争経験者は違うと感嘆させられた。

正月に長田区の祖母の家を整理に行った際、何冊ものアルバムが見知らぬ背の高い老人との社交ダンスや旅行写真で埋められているのを発見した。なんとなく聞いてはいたが、ダンスを通じて知り合ったという男とここまで親密な仲だったとは思わなかった。圧倒されるほどいろんな場所を一緒に旅行している。自由に生きたんだと思った。

祖母がダンスで訪れていたという舞子ビラで昼食をとり、そこで母親がマリトッツォを買い、施設で祖母にあげた。衰弱が著しいので食べられるのかと心配したが、積極的に食べようという意志がみえた。本体に紙がくっついてそれがうまく剝がせないので母親が手伝い、ほぼ完食した。

帰京して何日もしないうちに施設から連絡が入り、祖母が自身の意志で入院を希望していると言った。そこから今日まで早かった。

わたしと弟は祖母にほんとうによくしてもらった。その恩はあまりにも大き過ぎて、どう考えていいのか、なんと言っていいのかもわからない。

祖母が整理整頓していた大量のアルバムから、家族の思い出の色濃いものだけをクルマに乗せて東京に持ってきた。アルバムは写真が大好きだった(特に撮られるのが)祖母の自由に生きた証だ。わたしもこれからの人生で見習う部分が大いにある。