川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

文化の日、Tさんの図録は完売していた。

f:id:guangtailang:20211103155430j:image北関東を経巡っているおれだけど、群馬県に最近あまり行ってない気がしていた。藪塚のスネークセンターに行ったのが最後かな。判然とは思い出せない。〈缼けたる鼎談〉の余韻がまだ脳裡に響いており、群馬の神社に行こうと思って最初に浮かんだのは三夜沢の赤城神社だったが、それはおれがこの場所で起こった主婦失踪事件に関心があるからだ。でもせっかくお天気もいいのだしなと思い直し、次に浮かんだのが赤城山山頂小沼(おの)の赤城神社だった。そこに決めた。

ひどい渋滞を避けるため、朝6時過ぎに起床、7時にランフオ(RAV4)で出発する。関越道がなんとなくイヤだったため、東北道で北上し、そこから北関東道へ。渋滞はほとんどなく、9時半頃には山頂に着いた。途中、運転席から見えた霞のむこうの赤紫色の山々、虚空をかけゆく鳥のしなやかさに感動した。

f:id:guangtailang:20211103155444j:imageまだ10時台だったが、朝飯をろくすっぽ食っていないので腹が減り、山頂の食堂兼土産物屋の一軒にふらりと入る。店先のワカサギフライ定食の写真が目に入ったからだ。表の砂利道からざっと見渡しただけだが、閉まっている店舗が半分くらいある。さすがに標高1300mだと風が冷たく、湖面に漣を立たせるほど強いのでモールスキンジャケットの襟を立てたのだが、店内は暖かい。「おにいさん、これ飲んで。名物のしいたけ茶」と座る前からおばちゃんが湯飲みを差し出す。立ったまま飲むとしょっぱかった。他に数人の客がいたが、見ているとおばちゃんは客あしらいがうまい。透明な衝立の置かれたテーブルにつき、注文する。お茶がお替わり自由というから、ポットからお湯だけ入れていると「おにいさん、スティックのお茶入れた?」と訊くから、「ちょっと薄めて飲もうと思って」と正直に言った。「ああ、そうゆうこと」とサバサバしている。ワカサギには岩塩がいいと持ってきてくれた。しかし、味道についてはコメントを控えよう。

f:id:guangtailang:20211103155505j:image山を下り、前橋市街の文学館へ。ランフオは文学館向かいの立体駐車場に駐める。写真は味噌蔵を改造したという萩原朔太郎の書斎。これくらいの広さが実際集中できるのかも知れない。シンプルで趣味がよい。カーテンは三越から取り寄せたとあったな。

現在工事中らしい橋を渡り、文学館に入るとムットーニ(武藤政彦)氏の展示をやっており、たまたま今日は本人による作品解説がある、今ちょうど3階で行われているところだというのでそこへ行く。ムットーニ氏をおれはよく知らないのだが、小柄なおじさんで朗朗とよく響く声をしていた。「皆さんはフェデリコ・フェリーニをご存知ですか?」とあるタイミングで観客に問い、「知らない! 世代のギャップかなあ」と言うまでの間が短かった。作品は正直あまりピンとこなかったので、2階をざっと見たあと(何度も来ているので)、階下のショップコーナーでいろいろと買った。ムットーニ氏は数人の女性ファンに囲まれ、写真撮影に応じている。

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広瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちいさき魚は眼にもとまらず。

萩原朔太郎広瀬川」(『純情小曲集』1925)

f:id:guangtailang:20211103155551j:image帰りも北関東道を使い、東北道へ。江戸の意匠を凝らした羽生PAでソフトクリームをペロペロ舐める。古銭のクッキーがついてきた。420円。同業の先輩でもいるのだが、ふだん食べないのに高速に乗ると休憩の際、必ずソフトクリームを舐める。そうゆうスタイルで生きているのだ。

f:id:guangtailang:20211103155557j:imageこの詩集は今日文学館で買ったが、以前に買っている。それが見つからないので再度購入。2013年発行というから8年前か。Kやおれの大学時代の恩師だったから、T先生とかT教授と呼ぶべきなのだろうが、その奇人ぶりに親しみを込めてTさんと呼んでいたな。今はどうかしらないが、当時はヘビースモーカーで、講義中もチェーンスモーキングだった。暗めな色合いのシャツやネクタイやスーツを纏い、声はくぐもっていた。だから同級生の女子の中には「何言ってるかわからないね」と大げさに肩を竦める者もいた。頭頂部が薄くなっている髪を2:8にして撫でつけていたが、躰はしなやかで引き締まっている印象を与えた。

「T(フルネームで)の図録はありますか?」とすでに一冊持っているのだが、窓口兼ショップの女性に訊いた。その人は書棚を探り、「Tさんのは完売ですね」と言った。ちょっと驚いた。Tさん、凄いな。いくらここで朔太郎賞の選考委員やっているとはいえ、マイナーポエットちゃうんかい。Kとその奥さんが1冊ずつ買ったのかもしれない。