川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

すこぶるヴィヴィッド

f:id:guangtailang:20210523210709j:image風と共に去りぬ』は第2巻の346頁まで読んだ。アトランタの街に北部ヤンキー軍がいよいよ迫り来るところ。そしてメラニーのお産も待ったなし。スカーレット・オハラやレット・バトラーってこうゆうキャラクターだったのね。人間としてすこぶるヴィヴィッドだけど全然道徳的じゃない。読む価値あるわこれは。昨日今日とMに会った。彼女も土曜日は午後の早い時間で仕事を上がるので秋葉原で、今日は渋谷で。ぶっちゃけそこには金銭が発生しているわけだけど、それは僕の裁量の範囲内であれば、この人に使って何悪いことあるかと思っている。こうゆう人間としてすこぶるヴィヴィッドだけど全然道徳的じゃない人に。土曜日、僕に対する特異な待遇のわけを訊くと、ちょっと考えて「変でおもしろいから」と言うので、「あんたもたいがい変わっているけどね」と実際思っていることを両者口にした。少なくとも僕は、このコロナ禍のおもしろくもおかしくもない期間に、Mと出会えたことは僥倖と言うほかないと思っている。いつか話の流れの中でメルヘンのサンドイッチが言及され、そこからよく買って行くようになった。最初に知っていたのは勿論彼女だ。口いっぱいに頬張ってなんちゅう天真爛漫さだと眺めるのだが、喋っていると直截な中に深みが感じられる年齢なりの言葉があらわれるので、「それはほんとその通りだと思う」とMの買ってきたアイスコーヒーを飲みながら素直に感心するのだった。ところでこれだけ頻繁に週末Mとの時間をつくっていれば、いくら仕事で西川口だ上野だと飛び回っているHさんも、たまには早く帰宅して、僕の姿が見えない、ここのところ夫はどこで何をやっているのだと不審に思うのは当然である(とはいっても必ず晩飯前には帰っているのだが)。微信やラインによる確認、あるいは対面で詰問されたことが何度かある。どう返答するか。今や僕は直接的な返答もしない。以前は秋葉原に行っていたよくらいのことは答えていたが、結局不審感を募らせるだけだろうから、どこだっていいじゃないの、おれはあなたが仕事やその仲間との遊びで何時に帰ろうが何をしようが、朋友の上海おばさんを勝手に家に上げようが、夜中までWeb会議でギャーギャーやっていようが、それについて文句を言ったり詮索したことはないよ。お互い干渉し過ぎないようにしましょう、それが一緒にやっていく上で得策じゃないかしらと言うだけだ。これは日本語で言ったからHさんがどこまで理解したのか知らない。彼女は黙っていたが、ここ最近はほとんど訊いてこなくなった。さっきは西瓜を買いがてら、Hさんと川沿いの土手をウォーキングした。しばらく歩くと汗ばんでくるのだが、陶然とするような川風が吹いてすぐに乾いてしまう。なんて気持ちいいのだろう。彼女は遠回りしてでもここを歩くのがいちばん好きだと言った。実のところ、夜12時前のWeb会議については諍いになった。ベッドの傍らでやられたら眠れないじゃないか。