「あんまりこういうことは話したくなかったんですけどね、私の本職ってのは辞書づくりなんです、実は。言辞林ってのご存知ですか。あれをやっとるんですけどね。ですから私の会社での日課は、百科事典読むことなんですよ、もう毎日毎日。15年間それやってきました。ですから、あれはだいたい厚さにして1mくらいあるんですよね。それを100回以上は読みましたね。百科事典を100回読むっていうことはどういうことだかわかりますか。嫌んなりますよね」
『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』(1980・神代辰巳監督)をDVDで。3回目くらいかな、観るのは。最初は大学生の頃に新宿ベルプラザのツタヤで借りて観たんだと思う。なにしろ大学の友人Kに教えてもらうまで神代を〈かみしろ〉と読んでいたから。そのあとが30代半ばくらいで観た。働いてしばらく経っており、おれは結局このまんまこんな感じでいくのかなあと人生に屈託していたはずだ。そんな折になんとはなしに観て、この映画の原田芳雄─役名は三崎栄介というんだ─の振る舞い方に随分激励されたし、憧れもした。当時おれは独身で、こうゆう大人=独身者になりたかったんだよなと思った。観ているうちに涙があふれたような覚えもある。今回観て、三崎さんは存外優しい人物だなと感心した。彼は伊達や酔狂でやっているように見えて、その実芯に真面目さがあるし、とにかく優しい。おれはこんなに優しくなれない。そして、映画でこんなに声出して笑ったのは久しぶりだ。
白のスーツをぱりっと着こなし、サングラスで密談に臨む三崎栄介。ところがそこは場違いも甚だしい賑やかな大衆居酒屋で、相手の天本英世に「…この次はもっと真面目な場所でやりましょう」と窘められるが、少しも悪びれることなく、ひとりになると「ねえ、ピーマン焼いて」と注文する。
その後もことごとく密談に不釣り合いな場所を指定する三崎。のちの店で、「力を失くしたプロっていうのもみっともないもんですね」と天本に言い放ち、上着を脱ぐ。壁にはダーツの的。ビャッと投げると矢はあらぬ方向へ。2投目の前に矢を矯めつ眇めつし、「駄目だ、この羽根じゃ」。
この場面好きなんだよなあ。三崎の設定は原田の実年齢と同じ40くらいとして、20やそこらの娘の窮地を救い、夜のダイナーで飯をおごった上、他愛もないお喋り─女が周囲の同級生よりも実は年上で、〈高利貸し〉と呼ばれていたこと。つまり、儲けが凄い、もう毛が凄い。ここでふたりして爆笑する─の聞き役に回る。下心は少しもない。おれもかくありたい。
三崎の家のリビング。さんにんの奇妙な共同生活が始まる。三崎は日課で基地のフェンス沿いをジョギングしている。この人は知性もメンタルも躰も日々鍛錬している。おれもかくありたい。
「あたしこれから人に会いに出かけますから。(中略)えー、3、4時間で帰ります」と家に転がり込んできたふたりに言い残し、ネイビーストライプのスリーピースをぱりっと着こなし外出する三崎。陋巷を駆け抜けると、そのままソープランドに飛び込む。年少の娘には決して手を触れないが、金銭を払って女を抱くことはどうやら習慣としているようだ。
「ねえねえ、三崎さん。こっからが泣かすんですよ」「あたしも嫌いじゃありませんよ」(中略)「これは、綾太郎ですか」「私、大好きなんです」「いいですねえ」(中略)「あーあ。次から次へといろんなプロが出てきやがってほんとに… 何が綾太郎だよ、莫迦」