川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

仮面と虜囚

19日晴天。運動不足解消に川沿いの土手を歩く。昨日の大雨で水嵩が増して黄土色に濁っており、ちょっと迫力ある景色。舟山の海のようだとHさんに言うと、しばらく見つめてからそうだねと同意した。川風も吹いているし、安全性が高いという判断なのか、かなりの人出があり、速いバイシクルも行き交っている。

『時には娼婦のように』(1978・小沼勝)をFANZA動画で。ロマンポルノにしては長尺の92分で、青森まで行ったり、その他も多少ぜいたくなつくりだ。なかにし礼はコメンテーターとしての白髪のおっさんのイメージしかなかったから、40くらいで主演(原案/脚本も)している本作はなかなかレアである。また、彼は満洲からの引揚者で、終戦後、命からがら帰国した体験を持ち、そのことを『赤い月』という小説に描いているのだが、僕は未読だ。個人的に内容には興味がある。満洲からの引揚者にはのちに漫画家や俳優、小説家になった者もいるが、彼ら彼女らに特有のニヒリズムというか、無頼の感覚について、個人的にもっとちゃんと知りたいと思っているから。【以下、ネタバレあり。役名では呼ばず、俳優の名で呼んでいます】

埋もれるには勿体無い
なかにし礼が心臓の病気を発症する。すると、過去に自分のせいで狂って自殺した女のイメージに囚われる。死という観念がこのキャラクターの唯一の真実を呼び出している所が、物語としてファクトがあるという感じがした。 それはどこか死に対する指向性を感じさせるなかにしの表情や、卓越した映像感覚による所も大きい。「自分勝手な男が、想念に憑かれて好き放題していたら、信頼してた女からしっぺ返しを食らう」というロマンポルノの一つの典型なんだけど、典型に終わらない面白さがあった。 死についての映画だと僕は読んだ。最後はさかもと礼が孤独に死ぬべきでしょう。
のびのび太郎さんのレビュー

2015/05/25 - 成人映画(動画)

f:id:guangtailang:20200419222442p:plainまあ、このなかにし礼は身勝手な男で、妙に深刻な顔をしているが、なぜ彼に女が惚れているのかあまりよくわからない。上記レビューにあるように、彼には心臓の病があり、突如襲ってくる痛みの中で、波浪を背景に踊る能面のイメージがあらわれる。死の具象化。

f:id:guangtailang:20200419222517p:plain一方、鹿沼えりは褐色の肌をした天真爛漫な女で、なかにしと対照的であるがゆえに、彼の影に惹かれたのか(あるいは庇護したいという感情も混じっているか)。

f:id:guangtailang:20200419222629p:plain宮井えりなはふつうの家にいてもゴージャスな雰囲気を醸し出す。モデルをやっている設定(宮井さんは1974年度ミス・インターナショナル東京代表になっている)。

f:id:guangtailang:20200419222702p:plain弦の切れたギターで、歌を忘れた カナリヤは〜 と、か細げに唱う少女。ある雨の日、ずぶ濡れになるのもかまわず唱う彼女をなかにしは保護し、躰を洗ってやる。なされるがままの彼女は気がふれている。これだけでもなかにしの行動はおかしいが、

f:id:guangtailang:20200419222758p:plainあまつさえ、過去に自分のせいで自殺した女と同じ名前で少女を呼び、共同生活を営むに至っては、鹿沼の立つ瀬がまったくない。これはもうなかにしのモラルの欠如とかですらない。冒頭の伊豆のドライブの際に、海の景色を鹿沼が言うと、なかにしが自分の目は内側しか見ていないなどと冗談めかして言うが、彼には現在など、ましてや現在の女など微塵も目に入っていないことが明らかになった。恐怖を覚えるほどの過去の虜囚。

f:id:guangtailang:20200419222900p:plain痛飲して癒せる何があろうか。それでも飲むしかないが、鹿沼はなかにしの留守を狙って少女を実家のある青森の精神病院へ連れて行く。この病院がまるで監獄にしか見えないのだが、70年代当時はまだこうだったのか。といって、ことさらに「人権」など持ち出して時代の彼我の差を言い立てるのは、僕のロマンポルノ鑑賞道の意に反する。今から40数年後の人たちに2020年代の映画がどのように見られるかなど知らない。いや、知りようもない。

f:id:guangtailang:20200419222943p:plain少女を取り戻そうとギターを片手にタクシーに飛び乗るなかにし。追ってきた鹿沼の指がウィンドウに挟まれるが、冷たい視線を投げて、かまわず走り去る。こうなってくると、なかにしは身勝手などというより狂人なんじゃないかと思う。

f:id:guangtailang:20200419223014p:plain1978年の青森駅。ところで劇中にたらこスパゲティが出てくるのだが、当時すでにあったんだなと思った。

f:id:guangtailang:20200419223058p:plain少女の奪還が不如意に終わり、曖昧宿の女に勧められるままにねぶた祭に参加するなかにし。熱狂の中でまたぞろ襲ってくる発作と能面のイメージだったが、今回は能面が砕け散る。

f:id:guangtailang:20200419223144p:plain気がつくと、砂浜に横たわっていた。向うに朽ちたねぶたが置かれている。追ってきた鹿沼に今さら、子供をつくろうなどと言うのだが、よくもぬけぬけとと思う。

f:id:guangtailang:20200419223227p:plain東京に戻り、仮面舞踏会に参加するなかにし。奥の部屋では仮面の鹿沼が激しく交接していた。朝方、出勤する人々の雑踏を逆らうように仮面をつけたまま歩くふたり。このイメージは素晴らしいと思いつつも、上記レビューにある通り、なかにしは死ぬべきだった。僕の考えとしては、青森の海岸で地元の子供たちに囃されながら野垂れ死ぬべきだった。

※本作とは関係ないが、満洲のことで最近知って意外だったのは、見渡す限り遮蔽物のない大地の向こうに真っ赤な夕陽が落ちてゆくあのイメージ、引揚者の方もよく語っておられるが、あれは昔からあったわけじゃなくて、日本統治下でたかだか20年くらいのあいだに出現した風景だという。あの地域一帯は元は広大な森林で、虎や豹や多くの野生動物が跋扈していた。それを伐採しつくし、消尽しつくして、地平線まで何も無いようになった。(安冨歩満洲暴走 隠された構造』〔安冨歩・角川新書〕)。