18日豪雨。べランダのトタン屋根を雨が激しく打つ音を目覚めてからもしばらくベッドの上で聞いていた。午前中『あそばれる女』(1981・小沼勝)午後『昼下りの情事 古都曼陀羅』(1973・小沼勝)をFANZA動画で。観終わった頃にちょうど雨も止んだ。どこかで雨宿りしていた猫が往来に出てきて鳴いている。この黒猫は家の前の狭隘道路に居ついており僕も何度か話しかけたことがある。かわゆらしい顔にきれいな毛並みをしているから誰かの飼い猫なのだろう。なんとなく雌のような気がする。小沼監督の耽美主義には以前から魅かれるものを感じていたがそのわりに数本を観たのみだった(言及したことはないが『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』(1980)『縄と乳房』(1983)もそれぞれ良かった)。ロマンポルノの巨匠であるがゆえに本数が多くて何から観ていいかまごついていたのもあるかもしれない。このたび下の方のレビューを目にしたのをきっかけに上述の2本を観ようと思った次第である。いよいよその映像美学に没入しそうだ。【以下、ネタバレあり】
関係とは本質的にスワッピングである
うーん、すばらしい。これは小沼の最高傑作じゃないか。ワンショット、ワンショットの充実、美しさはただものじゃない。SMや緊縛といった特化した主題のもとなら(ときに容易に)美意識は表現できよう。その最高傑作は『昼下がりの情事 古都曼陀羅』だとわたしはおもっている。これも撮影は前田米造だ。だがこの作品の映像=物語はごくふつうの日常の夫婦生活から出発し、そこへ帰着する。その媒介者、益富信孝と小川亜佐美の夫婦が葬儀屋という死の世界との接点にあるといういみで非日常的=観念的なのはいたしかたない。いやこの配合がいいのだ。ともかくこのふたりはすばらしい。そしてラスト、ゆきついた日常もまたどうなるかしれない不気味さを宿す。性愛とは本質的にスワッピングなるものだ。交換の儀式という主題の本義にかなった、軽快かつ不穏な音楽の使用もみごと。bouさんのレビュー -2008/10/06 -ピンク映画ch(月額動画)
街場の写真館のリビングダイニングにしちゃ随分とモダンである。カメラマンの夫と専業主婦の妻(夫の仕事も手伝う)。
そそり立つシルエット。ヨハン・シュトラウス2世の美しく青きドナウが流れている。
闖入者に自宅で犯され開け放たれた窓のカーテンが風にゆれる。
葬儀屋の青の部屋。この雰囲気は異様で繰り広げられるプレイは映画のクライマックス。
スワッピングでルール違反をしたことを理由に妻を凌辱され彼女に自分を愛しているのなら刺してこいと言われ葬儀屋に乗り込む夫。
痴人のような(そうじゃないかもしれない)女。高原リカ演じる。
霊柩車がトラックと正面衝突し日常に帰着する夫婦。お調子者の夫は見合い写真を撮り妻は階上で布団を干す。
古都でお見合い。1971年にデビューしこれまでロマンポルノに何本も出ているが今作が初主演という山科ゆり。
若き風間杜夫。銀行員の役が似合う。
エキセントリックな日本画家に坂本長利はハマってましたよ。蜘蛛とその巣がモチーフ。
蜘蛛とその巣がモチーフ。そういえば山科と風間がお見合いする場面でも彼女が畳を這う蜘蛛を弄んでいた。
宮下順子の京都弁。ところで古都を散策中に山科のスカートがすれ違う男によってめくられ風間と取っ組み合いになるのだが彼女は電車に乗ればこんなことは日常茶飯事だと言う。そうゆう時代なのか。現代の痴漢の有罪率を思う。
山科ゆりの白魚のような指。このあと目眩く古都の青姦がつづく。
東京方面に遁走したあとは妙に表情が明るくなった山科。蜘蛛の巣の捕縛からついに逃げ出せたから。