川の照り

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

唐津1~烏賊渋滞~

14日夜、福岡空港に降り立つ。九州は高校の修学旅行以来。だから四半世紀ぶりだ。おりしも山笠祭りの最中だった。地下鉄空港線でホテルのある天神まで移動する。なにせこの空港、新幹線駅、繁華街それぞれの近さ、これが福岡市の素晴らしいところです。前方を歩いていた女性が韓国語で子供を叱りつけていた。スーツケースを引っ張っているから観光客なのだろうが、地理的な近さもあって、韓国人と中国人が非常に多い。f:id:guangtailang:20180716224006j:plain

朝、カーテンの隙間から漏れる光で目覚める。テレビが点けっぱなし(ヴォリュームは極小)。昨晩はウィンブルドンナダルジョコビッチの白熱した試合を観て、そのまま寝てしまった。f:id:guangtailang:20180716224112j:plain

ホテルの1階にタリーズコーヒーの店舗が入っており、そこで朝食を食う仕様。2種類から選ぶのだが、ホットドッグの方を選んでスマホを忘れたので写真なし。店の天井が吹き抜けになっていて、開放感がある。

ホテルの前の通り。向かいに警固神社というのがある。明るくなって気づいたが、このビジネスホテルは天神の中心部にある。立派なビル(西鉄福岡(天神)駅)の下辺りから欧風の重厚で薄暗い地下街がずっとつながっており、そこを歩いて、空港線でレンタカーを借りに博多駅筑紫口まで行く。

午前9時、ヴィッツを借りる。f:id:guangtailang:20180716224157j:plain

まさかこんなことになろうとは。烏賊渋滞である。時刻は正午になろうとしていた。

スムーズにいけば1時間45分くらいの道程らしい。実際、料金所附近の工事などでやや混雑しかけたものの、おおむねスムーズにきたのだ。それが呼子港まであと1キロ少しというところまで来て、クルマが数珠つなぎになって動かない。じりじりとボディが灼かれる。周知のように、渋滞にはのろのろでも流れる渋滞と完全に停まってしまう渋滞がある。これは後者の、しかも酷いやつで、停まったら5分も微動だにしない。だからこの写真も撮れたのであるが、これらのクルマに乗車している人たちは自分も含めて、皆、烏賊(ヤリイカ)を食べに行こうとしているのである。これを「烏賊渋滞」と呼ばずしてなんと言えばいい? 

時間を空費しながら、かろうじて港までクルマを運んだが、烏賊の店の前はどこもクルマと人でごった返して、とりわけ私が目指した河太郎呼子店は大変なありさまだった。広い駐車場はほぼ満車。店の外に25人くらい、内部に15人くらい順番待ちしている。まさに昼時なのだ。ここで重要な決断を迫られる。順番を待ったとして、これでは私が透明な烏賊を食べ終わる頃には、すでに午後2時を廻っているだろう。今日のスケジュールに唐津城、虹の松原、鏡山(284m 270度パノラマ)があることを勘案すれば、その選択を賢明とは言い難い。透明な烏賊は明日、博多の河太郎でなんとかするとして、昼飯は唐津市街まで戻って食べよう。それというのも、事前に北九州単身赴任中の美食家SP氏から唐津の店のリストを送ってもらっており、その中に気になる佇まいの鰻屋があったのだ。f:id:guangtailang:20180716224235j:plain

午後1時過ぎ、唐津市街に戻る。駐車場からどどんと唐津城が見えたので、先に登ることにする。どうせ昼飯の時間は廻っているので。

風光明媚きわまりない唐津城展望室からの眺め。玄界灘の島々。f:id:guangtailang:20180716224426j:plainf:id:guangtailang:20180716224508j:plain

前方にさっきクルマを置いた駐車場。f:id:guangtailang:20180716224551j:plain

右下に早稲田佐賀中・高等学校。今調べたところによると、大隈重信の出身地である佐賀に早稲田の附属校をつくろうとOBが頑張って、2010年に開校したらしい。ちょうどグラウンドに整列している高校球児たちの「都の西北」」が聞こえてきた。隣りにいたカップルの女性が「そばで唱ってるみたいだね」と言うくらい、空に舞い上がって、鮮明に聞こえた。彼ら高校生が大学の校歌を唱うのには理由があるらしい。f:id:guangtailang:20180716224639j:plainf:id:guangtailang:20180716224830j:plainf:id:guangtailang:20180716224920j:plain

午後1時40分。唐津鰻屋。非常に趣きがある。こちらも名前と人数を書いて多少待つことになったが、名簿にJeon 3とあったり、LUCY 1とあったりした。2階の一間に通される。この部屋がまた時代を感じさせて素敵だったのだが、他の客もいたので写真はなし。f:id:guangtailang:20180716225014j:plainf:id:guangtailang:20180717005627j:imagef:id:guangtailang:20180716225220j:plainf:id:guangtailang:20180716225322j:plainf:id:guangtailang:20180716225408j:plain唐津2~虹の松原~、福岡~大濠公園西湖モデル説~につづく。

寧波=ニンポー

昨日から今日の明け方まで。

感冒薬をのんでいるが、鼻腔の奥が詰まった感覚がずっとあり、咽喉もいがらっぽい。但し、洟は垂れず、咳もほとんどない。この程度の症状で福岡へ飛ぶことに問題もないが、向こうで楽しみにしている食事には差し支えがあるだろう。味覚が鈍重になっているから。

イングランドクロアチア戦が延長までいって、決着したのは午前5時過ぎだった。カーテン越しに窓の外はすでに明るくなっており、おれはプラムをかじりながら、琴音氏のCDを聴いた。何年ぶりかに買ったCDだ。清冽な酸い味、そして甘みが弾ける。

ベッドに横臥しながら、8月の旅行について思いを巡らす。基本的には紹興(シャオシン)にあるHさんのマンションに滞在するが、途中、寧波(ニンポー)一泊旅行を挟む。寧波は初めてなので概略を知りたいのだが、ガイドブックに寧波が載っていることは少ない。よしんば掲載されていたとして、上海や蘇州・杭州で一冊に編集されたブックにおまけ程度の扱いである。なんだかなあ。寧波は古都といってよい歴史を有し、日本とも大昔から交流してきた、現在、副省級市に定められる浙江省を代表する大都市のひとつなのに。人口760余万人。

結局、ウェブページの観光ガイド(寧波観光局公式サイト)や、個人の旅行記(写真のいっぱい載ったやつ)、Wikipediaなどが充実を見せており、かなり参考になる。

そんな中、たまたま見つけた『東アジア海域に漕ぎだす2 文化都市 寧波』(東京大学出版会)。どどんと寧波を前面に出してくる書名に、思わず手に取り、頁を繰った。

主要目次

プロローグ 「文化都市 寧波」という視点
第I部 書物がつくる文化
一 天一閣蔵書楼とは何か
二 寧波の郷土史料『四明叢書』
三 語り継がれる記憶と寧波の地方志
四 思想家の言葉はどのようにして書籍に定着したのか――王陽明を一例として
コラム 「中国のルソー」を育んだもの
第II部 知識人たちの記憶と記録
一 王朝をこえて――宋元交代期の碑刻の書き手たち
二 豊氏一族と重層する記憶
三 思想の記録/記録の思想――寧波の名族・万氏について
四 寧波という磁場と文学者たち
コラム 江戸文化と朱舜水
第III部 場と物が織りなす記憶と記録
一 石に刻まれた処方箋
二 墓地をめぐる記憶と風水文化
三 文化を支える経済のはなし
コラム 東銭湖墓群と史氏
コラム 寧波の英雄・張煌言

天一閣(ティエンイーグゥ)は寧波観光で必ず挙がってくる場所なのだが、数頁読み進めて、さすがに専門の先生方がフィールドワークを行い、執筆しただけあって、内容が他のどんなものよりも濃く深い。というか、圧倒的じゃないか。だいたい、天一閣を建築した范欽という人物をこの書物で初めて知ったからね。范欽の経歴については、Wikipediaの28倍くらい詳細に書いてある。维基百科よりもさらに詳しい。そんなアカデミックな本だから、どの程度一般向けに書かれているのかわからないが(冒頭の語り口、コラムを挟み柔らかさを出している構成はある程度一般向けか)、おれは買った。そして、毎日少しずつ読んでいる。寧波の概略を知る所為からはもはや離れてしまっているが。

8月、天一閣の敷地に立つおれは、同行した中国人たちの誰よりも圧倒的にこの史跡に詳しいという妙な状況を想像して、にやにやした。

f:id:guangtailang:20180712094512j:imagef:id:guangtailang:20180712094523j:imagef:id:guangtailang:20180713035401j:image

その夏の加齢による衰えの今は

死者120人超、安否不明80人超。「平成最悪の水害」とまで呼ばれるようになってしまった。親戚が広島にいるので、一昨日父親が連絡したが、被害はほとんどないとのことだった。

洟が垂れて、喉がいがらっぽいという症状が数日前からあり、改源をのんで職務に奮闘していたのだが、昨日、日中炎天下にいる時間が長く、夕方頃から眩暈がするようになった。軽い熱中症か、と首の後ろを揉みながら、それでも業界青年会の勉強会に出席したのだが、頭がふらふらしてどうにも話が耳に入ってこず、終わるや否や懇親会への不参加を担当者に告げ、帰宅した。

元来、躰は頑強な方だと思うが、40を過ぎてから徐々に、そしてあちこちに身体(しんたい)の不調の徴があらわれ、それはもう万人に妥当するであろう「加齢による衰え」に違いないのだが、目下の悩みはでっぷりとした腹廻りと、そしてハズキルーペを使用しないと細かい文字がほんとうに見えにくいこと。眼鏡の上にハズキルーペをかけるという、ダブルレンズの姿態はすでに何人もの知り合いに見られ、あまつさえ写真にも収められてしまっている。この先も手放せそうにない。蛇足ながら、ハズキルーペと老眼鏡は違います。ハズキルーペは近くの見る対象を大きくする。いわば虫眼鏡。老眼鏡は近くの見る対象にピントを合わせる。これである。

ひと眠りして起きると眩暈はなくなっていた。洟が垂れる症状も軽減されており、咽喉だけ却っていがいがの度を増していた。週末までに治さなければ、と忘れないように、不要なダイレクトメールの空封筒に「感冒薬(喉)」とでかでか書きなぐって 、鞄に突っ込んだ。

f:id:guangtailang:20180710123325j:imagef:id:guangtailang:20180710123341j:plainでっぷりとした腹廻り。f:id:guangtailang:20180710123351j:imagef:id:guangtailang:20180702152014j:plainf:id:guangtailang:20180710133923j:imagef:id:guangtailang:20180710164138j:image

カーフェイジェリーと身長

深夜、ロシア対クロアチア戦を観ていても、青い帯に西日本の大雨情報が表示されつづけ、刻々変化する。これを書いている8日午後8時16分現在、「75人死亡 61人安否不明」に増えた。西日本の多くの地域で被害が出ているが、自然災害がめったにないとされていた岡山(倉敷)があんな風に水に浸かっているのを初めて見た気がする。

f:id:guangtailang:20180708201035j:plain昼過ぎにのそのそと起きだし、そばを茹でて食べ、部屋を行ったり来たりしているうちに夕刻が迫る。窓の外を見ると、東京の空は実に何事もないような貌をしている。頭の芯がぼうっとして、躰が重い。無精髭を伸ばしたまま外出。秋葉原で少し買い物をし、日暮里の談話室ニュートーキョーにて晩飯。丸福珈琲店のカーフェイジェリーが最近のお気に入りで、地元のスーパーで5個買って帰宅。

f:id:guangtailang:20180708194058j:imagef:id:guangtailang:20180708194112j:image駅ロータリーに面している側ではなく、ビルと駅との隙間と呼んでいいような反対側から出ると改札が近い。あと、これは日暮里駅トリヴィアだが、改札脇のこじんまりとした書店には、この地で生まれた作家吉村昭の文庫本が充実している。

f:id:guangtailang:20180708194141j:imagef:id:guangtailang:20180708203715j:imagef:id:guangtailang:20180708203751j:imageある時、張愛玲と李香蘭のツーショット写真(合影)を見つけ、前者が椅子に腰かけ、後者が立っているのも不思議なことだと思い、どこかで李香蘭は150センチ位だと読んだことがあるから、張愛玲はきっと長身で、バランスを取るためにこういう構図にしたのだなと考え、それをツイッターで呟いたら、最近、張愛玲の短編選を上梓した訳者の方から回答を頂き、張愛玲自身が身長は5フィート6インチだと書いているそうで、そうすると168センチということになる。張愛玲と会った人は皆、背の高い人だと言ったらしい。現在でもアジア女性で168センチはかなり高い方だ。それにしてもこの写真の張愛玲はカメラからやや顔を逸らし、目を伏せ、あまり機嫌の良くなさそうな表情をしている。対して李香蘭はまっすぐにカメラを見つめ、貫禄を感じる。驚くなかれ、このふたりは1920年生まれの同い齢である。

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雨の四谷

友人たちと四谷の牛たん専門店へ。この店は食べログ等でも話題になっており、富田林出身のJが予約を取ってくれたのだが、メンバーが揃うまで店先で待ち、揃った順に席に案内される仕様だ。相席などを調整するのだろう。それほどまでに次から次、客が来る。

野太く黒い古民家風の梁が渡された店内でさまざまな牛たんを食らう。ゆでたん、たんシチューはとてもやわらかい。白菜のお新香はさっぱりとして、枝豆は新潟弥彦産。J以外のメンバーを紹介すると、現在北九州で4年越しの単身赴任をつづけている榛原出身のSP。池袋で働くウイグル人のような風貌のF。今年だけで14回の北海道日帰り出張をこなしている豊洲在住のKである。

私は今月、福岡・佐賀にひとり遊ぶので、美食家のSPに呼子イカはじめ、博多のうまいものをいろいろと教えてもらった。東京はそれほどでもないから暢気にしているが、現在、西日本を中心に大雨が降りつづいており、九州北部もその地域のひとつだ。

「烏賊のお店に行く際は生け簀のある専門店に行きなさい。なぜなら、生け簀のない店は当日明け方の漁に行けるかどうかで仕入れが決まるから。つまり、前日雨だと仕入れなしです」。「私は烏賊を食べる時は必ず店に電話して、仕入れを確認します」。そんなアドバイスもSPから。

時期的にちょうど重なった博多祇園山笠の様子も聞き、子供山笠の少女の締め込みについて博覧強記のFもコメントする。

Kの息子が言葉を覚え始め、『きかんしゃトーマス』の登場キャラクターについて好みを示す話は微笑ましい。

Jが多言語音声翻訳アプリ「VoiceTra」の性能をしきりに褒める。試しにやった「あなたはどうして僕のお腹を触るのですか?」の中文翻訳はほぼ完璧だった。「私は烏賊を食べる時は必ず店に電話して、仕入れを確認します」の露語翻訳はどうだろう。

f:id:guangtailang:20180706085636j:imagef:id:guangtailang:20180706085652j:imagef:id:guangtailang:20180706085710j:imagef:id:guangtailang:20180706085723j:imagef:id:guangtailang:20180706090141j:image2軒目はあらかじめKが調べてくれていた焼き鳥の店へ。案内されたのが店の奥の狭苦しい階段を下った地下倉庫のような場所。「こんなん、カタコンベやん」とJがにやにやして言う。コンクリート床の8畳ほどの空間、壁面の棚にワインが寝かされている。ウイスキーのメニューを見たKとFが安いよね、と言い合って、スコッチ・ウイスキーをオーダーした。

W杯ロシア大会の話から、さっきの北九州を引きずって、ギラヴァンツの語源は何か、という問いが誰からともなく発せられる。Jリーグのクラブ名によくある、何かと何かの掛け合わせ、そうだとしてそれは何か。博覧強記のFも知らず、皆酔っていたため、その問いは中空に消えていったが、あとで私が調べたところによると、「ギラヴァンツ(Giravanz)はイタリア語で『ひまわり』(北九州市の市花)を意味する "Girasole" と『前進する』という意味の "Avanzare" を組合せた造語である」(Wikipedia)とのことだ。

ウルグアイ代表のユニフォームのみが身体に沿うようにぴっちりとフィットしており、胸筋が浮き出て、あれは一体どういうことなのか、とりわけエディンソン・カヴァーニは凄い、というような話もあった。

雨の四谷、木曜日の夜だからして、10時半頃、駅でそれぞれの方向に解散。私は傘を携帯せず、自転車だったので、最寄駅から家まで濡れた。果たして梅雨は明けたのか。

【追記】

夕刻、福岡、佐賀、長崎、すなわち北九州地方に大雨特別警報が発令された。「これまで経験したことのない大雨に」、「重大な災害が迫っており」、「直ちに命を守る行動をとること」を奨められるほどのレベルの警報だ。自分が近々行くからということもあり、その地域が俄然心配になってきた。

剛い髭ときつね目

高温多湿の夜。冷房は点けずに部屋を暗くし、道東の原野が吹雪く、真逆の季節の映画を、パンツ一丁で観る。『きつね』(仲倉重郎監督/1983/104分)。じっとり汗をかく。

主演は、私はあまり知らないのだが、両親の世代は皆知っているミュージシャンの岡林信康。フォークの神様と呼ばれている。彼が釧路に派遣された35歳の低温科学者緒方を演じる。ヒロインはオーディションで選ばれた高橋香織。釧路に療養に来ている14歳の少女万耶を演じる。高橋はこの映画以外、目立った活動はしていないようだ。

冒頭から、なにせ音楽に語らせ過ぎだ。猟銃を持った緒方が濃霧漂う森を抜けて、湿原で万耶と出会う場面から、ふたりが親密になっていく場景、過剰に音楽が鳴りつづけ、映像が物語るべきところを、音楽の饒舌で覆っている。映像と音楽が手を携えて進むような流麗さはそこにはない。こういうのはまったく好みじゃない。冒頭のみならず、この映画は全編こんな感じだ。叙情的な調べを流すにしても、斎藤耕一の音楽の使い方がいかに巧いか、再認識した。

他方で、剛い髭をたくわえた岡林の、朴訥として、時たま関西方言のイントネーションが混じる感じは好ましい。学者として出世街道からはずれた、寄る辺ない男の佇まいがよく出ている。ヒロイン役の高橋も魅力的だ。すらりとした体形に釣り目の面立ちが、この少女自身ちょっときつねを連想させる。実年齢で演じたのか、ことさらに演技せずとも、この年頃の危うい感じがあらわになっている。あどけない顔が、時にはっとするほど瞳に情念が宿り、女の表情になる。

映る昭和50年代後半の道東の風景。これはもう掛け値なしに素晴らしい。緒方のダットサントラックが豪雨の日に脱輪して、万耶が駅で待ちぼうけを喰らわされるシークエンス。現代なら携帯で連絡をとって待ちぼうけもないのだが、この時代はドラマが生まれるんだな。春別駅の僻地感よ。

14歳の少女の情交場面があるため、ソフト化が遅れていたとか読んだが、かなり控えめな表現で、たいしたことはない。藤田敏八の『危険な関係』(1978/97分)に女の幼児の素っ裸を撮影しているペドフィリアな場面が出てきたが、そっちの方が吃驚したわ。

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見送り

フランス対アルゼンチン戦を観終わって、なんやかやで寝たのが午前1時半くらいだったと思う。で、早朝の5時頃にはHさんがもそもそし始め、ついには起きだし、スーツケースの中身を最終確認している。そのガサゴソ音に僕も起こされた。

午後1時過ぎ。日暮里の昭和大箱喫茶、談話室ニュートーキョーで豚肉ロース生姜焼弁当とアイスコーヒー。朝から移動に次ぐ移動で、ここでやっと一息つく。店内は9割方埋まっており、さらに頻頻と客が来店し、相変わらず繁盛している。

f:id:guangtailang:20180701153222j:imagef:id:guangtailang:20180701153234j:image時間は遡るが、午前7時45分日暮里発の京成スカイライナーに乗車し、成田空港第一ターミナルへ。Hさんのスカルプチュアが1箇取れてしまったらしい。ここで念のため言い添えておくと、人工爪のことをスカルプ、スカルプと呼び習わす人たちがいるが、スカルプ (scalp)というのは「頭皮」「頭の地肌」のことで、スカルプチュア(sculpture)が人工爪であり、綴りも違う。前者は僕の問題、後者がHさんの問題とするところである。

f:id:guangtailang:20180701153248p:image午前10時半頃。Hさんを見送り、粥と餃子の軽食を取ったあと、帰りは適当に成田エクスプレスに乗る。過日の新幹線車内での殺傷事件以降、僕は列車内で寝る行為を控えようと考えているのだが、早くも眠気に勝てず、うとうとしているうちに東京駅の地下5階辺りに到着した。地上までゆらゆら上っていき、八重洲ブックセンターに寄り道しようと烈日の路上を歩いている時、軽い眩暈に襲われた。熱中症というよりも、寝不足だろうと思った。以前にも何度か、寝不足でやたら歩き廻った際にこの症状があらわれた。ブックセンターでしばらく涼み、症状が落ち着いたのち一冊も買わずに店を出て、日暮里に向かった。 

f:id:guangtailang:20180701153314j:imagef:id:guangtailang:20180701153325j:image東北アジア人として、ハングルをちょっぴりでも覚えようという気がまだない。

f:id:guangtailang:20180701153336j:image対向列車との行き違いのため、エクスプレスが発車して早々、ここで停まる。僕が座っている側の車窓は緑がもこもこと繁茂している。植物はなぜこんなにも輝くのか。

f:id:guangtailang:20180701153347j:image最寄り駅からオーシャンビューの日立駅まで131分。クルマで常磐道を行っても結構かかるが、日立に差し掛かった辺りからトンネルが増え、ああ、関東平野が終わったのだなと感じる。すると、トンネルを抜けた瞬間、右手に太平洋があらわれ、暗い場所から出たから余計に、海のブルーが目に染みる。僕は人より北茨城地方に感動し過ぎかも知れない。

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浮遊感覚

f:id:guangtailang:20180630085545j:image藤田敏八略歴》(KINENOTEより)

「【同時代の空気を青春映画に刻み込む】朝鮮・平壌で生まれ育ち、終戦とともに三重県に引き揚げる。東京大学仏文科在学中は演劇活動に熱中し、俳優座養成所にも通った。本名は繁夫で、1968年までは“藤田繁矢”名義で脚本・演出を手がけた。仲間内での愛称は“パキさん”。77年から95年まで女優の赤座美代子と結婚生活を送る。鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」(80)に出演し評価されてからは、俳優としての活動に重心が移った。97年、肺癌のすえに肝不全で65歳にて死去。55年、日活に入社し蔵原惟繕ほかの助監督を務め、脚本も書き始める。67年に「非行少年・陽の出の叫び」で監督に昇進し、日本映画監督協会新人賞を受賞。同作の姉妹編ののちは「野良猫ロック」シリーズ2作や「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」(70)などの日活ニューアクションを手がけ、青春映画の「八月の濡れた砂」(71)が高く評価された。その翌年に日活がロマン・ポルノ路線へ転換すると、「八月はエロスの匂い」(72)等のエロス三部作や「もっとしなやかにもっとしたたかに」(79)といった成人映画を手がける一方で、一般映画枠の「赤ちょうちん」(74)、「帰らざる日々」(78)などを監督。さらに他社作品の「天使を誘惑」(79)、「スローなブギにしてくれ」(81)などの一般映画で活躍した。遺作である「リボルバー」(88)は、にっかつ(当時社名)が一般映画路線に戻した“ロッポニカ”作品の一本であった。【のらりくらりと浮遊】初期から後期まで通して青春映画の騎手と見なされた監督である。初期のうちは、学園闘争、紛争後の空白といった時代の空気を滲ませつつ同時代の若者の姿を追い求め、無為で倦怠感あふれる青春像は「八月の濡れた砂」に結実した。ロマン・ポルノ路線への転換時も日活に残ったが、量産体制にしては成人映画作品の数は少なく、市場確保のため一般映画枠で製作した秋吉久美子主演の(フォークソング映画化)三部作などに腕を振るった。これらは特に若い観客層から支持され、「赤ちょうちん」と「妹」(74)は同じ年のキネ旬ベスト・テンに揃ってランクイン、いわゆるシラケ世代の個人像を鋭敏に捉える作家と見なされる。「スローなブギにしてくれ」以降は中年世代の“終わらない青春”像も併せて描き、「ダブルベッド」(83)はそのロマン・ポルノ版であった。おおよその物語や主題は直線的に描かれず、全体にもの憂さを漂わせる。主人公たちの態度と映画のタッチともに“のらりくらり”“浮遊感覚”と称されることもあった。」

f:id:guangtailang:20180630105522j:imagef:id:guangtailang:20180630105532j:imageたまたま今読んでいる、この1940年代、戦前・戦中の上海・香港を舞台にしたメロドラマにも時代に浮かび漂うような感触がある。范柳原を若きチョウ・ユンファが演じた映画もある《『傾城之戀』(アン・ホイ監督/1984/97分)》。

明日の午後からしばらく独り暮らしとなる。7月の路上も烈日が容赦ないだろう。ところで、今日は腹の具合が悪い。朝、出社してトイレに駆け込み、今またトイレにいる。窓から射し込む光線が強くなって、朝より個室が明るい。f:id:guangtailang:20180701140031j:plainf:id:guangtailang:20180705121145j:image