23日午後12時30分。錦糸町にて漬け白菜と豚肉の炒め。壁に貼ってある写真では黑木耳(ヘイムアル・きくらげ)の刻んだのが入っているが、これをたのんで今まで入っていたことはない。黑木耳は家でよく食べているからまあいい。米の量を少なめにしてもらう。といってもそこそこのボリュームがある。ご飯多めとでも言おうものなら、熊五郎に出すぐらい盛り上がっている。ベイファンレン(中国東北地方出身者)の心意気。
25日午後4時50分。ファさんから微信のメッセージじゃなく、珍しく電話がかかってくる。ただならぬ様子で、早く家に帰ってこいと言っている。どうした。階段から落ちて歩けない。わかった今行く。職住近接の強みで5分後にドアを開けると、抄太郎の想像と違い、彼女は階段附近にいなかった。ダイニングに呆然と座り、白い顔をしている。どこか怪我をした? 左の腰や太腿の内側を手でさする。その手の甲には擦りむいたらしい血が滲んでいる。痛みは? あまりないけど、力が入らない。だから歩けない。打撲か? 彼女は打撲の言葉を理解しない。そして、抄太郎も打撲の中文を知らない。折れてはいない? たぶんそれはないと思う。この時、彼も骨折はしていないだろうと高を括ってしまったのだ。ただ、立ち上がった彼女は派手に左足を引きずって歩く。とりあえず福太郎で湿布買ってくるか。彼女は湿布の言葉を理解しないが、予想がついたらしく頷く。抄太郎は家を飛び出して自転車に跨った。道すがら、なんだか腹が立ってくる。階段から落下した原因。スリッパを履いて下った時に底が滑り、そのままどんと尻餅をついて2階を少し下った場所から最後の段までずり落ちた。それを聞いた時、これは非人情の謗りを免れないが、彼の脳裡に浮かんだのは自業自得の四文字であった。というのもこれまで、〈スリッパを履いて階段を上り下りするのは危険だ〉という注意喚起をたびたび行っていたからだ。たとえば彼女が深夜トイレに行く際、スリッパでバタバタ下り、またバタバタ上ってくる音が思いの外、反響する。騒がしい音がするのは足とスリッパが分離しているからだし、寝ぼけているから危ない。また、母親と抄太郎もこの話をしたことがあり、手がふさがった状態であればさらに危ないということをファさんに伝えたこともある。しかし、彼女は聞く耳を持たなかった。中国ではというと話がでかくなり過ぎるが、彼女の実家や現在息子が住むマンションなどの室内ではたしかにスリッパというかサンダルを履くのが習慣のようだ。それを日本家屋にもそのまま適用したのだと言えば言える。別になんら悪気のある行為ではなく、この3年間そのように生活して何事もなかったが、今回、彼女は不運にも階段から滑り落ちて怪我を負った。と考えると、抄太郎のこの立腹は一体何だろう。仕事の最中に呼び出され、今は湿布を買いに行かされ、彼女の状態に気を揉まねばならぬ煩わしさに起因するものかも知れない。そうだとしたら、この時点で怪我の程度を軽視していたにしても、鶴岡抄太郎という人間は所詮エゴの勝ったセコイ心の持ち主なのだった。
26日午前7時。一夜明け、ファさんに状態を訊ねると、痛みはそれほどないが、やはり力が入らないのと腫れているような気がすると言う。やっぱり病院行くか。土曜日だから行くなら早くしないと。はい。と、昨日とは打って変わって自分から準備を始めた。といっても、昨晩抄太郎がおんぶして上り下りしたくらいで、衣服の着脱にも支障をきたしているから、パジャマに黒のロングダウンコートを羽織らせ、靴下を履かせた。太腿の湿布は全部剝がした。クルマを自宅の前まで持ってきて彼女を乗せる。ふと燃料計を見ると、ガソリンがほとんど入ってなかった。まあ、近所の病院だ。
同日午前9時〜11時45分。総合病院の整形外科にて先生の指示通り、レントゲンを撮り、そのあとCT検査をしと、2階と1階を幾度か往復した。そのあいだ、ファさんは車椅子に乗り、抄太郎はそれを押した。順番を待っている時に彼女がおもしろいことを言った。これはどうも夢なんじゃないかしら。彼は少し笑った。というのもクリスマスに恥骨を骨折し、自らの誕生日に人生初の松葉杖をつくことになったのだ。悪い夢。上層階にあるリハビリ科で松葉杖での歩行、階段の上り下りを練習した。そこのガラス窓からは日光を浴びて跳ねるようにきらきらする川面とその向こうに高速道路が見えた。
病院を出るともう昼過ぎで、行きつけの弁当屋にてスパイシーチキンカレーと焼肉弁当、ポテトサラダを買って自宅に戻ると、朝から何も食べていないファさんはぺろりと焼肉弁当を平らげた。そして、松葉杖を使って一段一段踏みしめるように3階まで上った。