12日、晴天。
昨日、あまり考えもせず、ホテルの駐車場の日陰に駐車したのだが、午前9時45分、出発しようとするとフロントグラスが霜で曇り、ボディも薄く凍結していた。周囲を見渡すと、ほとんどのクルマが日向の方に駐まっている。普段、寒冷地で生活していないとこういうヘマをやるんだな。車内もびんびんに冷えている。デフロスターを稼働させると、霜は徐々に融けていった。午前10時、発進。
河口湖に到着すると、まずは富士山パノラマロープウェイへ。僕は非日常の乗り物に乗るのが好きなので。乗り場には天上山のカチカチ山伝説にちなんで、やたらとウサギとタヌキの人形、イラストが設置してある。列に並んでいるほとんどが中国人(中国語話者)観光客なのに、僕がみた限り中文のキャプションはなかった。さらに云えば、ゴンドラの中のアナウンスも日本語と英語のみだった。ゴンドラの屋根にタヌキを乗っける余裕があるのだったら、券売機にあったように、カチカチ山伝説やゴンドラ内アナウンスの中文版は必要だろう。
谷崎潤一郎は昭和17年(1942)の9月終わりに、ここ河口湖畔に建つ富士ビューホテルを訪れて、『細雪』を執筆した。小説の中にも山や湖、フジ・ヴィウ・ホテルが出てくる。この年から谷崎は熱海に別荘を購入し、そちらを拠点とするようになったのだった。
下は道の駅かつやまの前のバス停。この辺りまで来ると中国人(中国語話者)観光客はおらず、どころか人自体あまりみかけず、ひっそりとしている。湖畔の遊歩道を歩くと冷たい風に身を切られるようだ。Hさんはクルマに戻ってしまった。夜はさだめし寂しい場所だろう。
『細雪』の一節を彫り込んだ文学碑。石に湖が写り込んでいるのはいいのだが、いかんせん読みにくい。下の活字の最後の4行、「…どこか(何処か)…」から「胸いっぱい吸った」まで。
裏面の石板は読みやすい。
文学碑を背にすると、このような風景。季節は違うが、「炭酸水を喫するような心持で」空気を吸い込むというのがよくわかる。凛冽に澄み切っている。
昼飯を食べた道の駅富士吉田。タンクがあるのにビールを飲めないのがドライヴァーの不憫。遠目にもぱっと目につく富士山レーダードーム館が併設されている。
ウィークデイということもあったのでしょうが、忍野八海はまるで、僕が中国大陸のどこかの観光地に紛れ込んだようでした。50人いるとすれば、45人は中国人(中国語話者)です。オーヴァーでなく。浅草、銀座でもここまでじゃないと思う。Hさんもさすがに驚いたようでした。
驚いたといえば、復路は中央道で帰ってきて、渋滞には遭わず、午後5時前に帰宅し、テレビを点けると、池江璃花子選手が「白血病」との文字が目に飛び込んできました。「18歳…」と呟き、普段、ニュースにあまり関心を示さないHさんも画面を凝視しています。