川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

老いの微笑

f:id:guangtailang:20180928215126j:image久方ぶりにウレタン敷きのジョギングコースから対岸を撮る。最近とみに眼が悪くなって、スマホの文字が見えにくい。文庫の活字が見えにくい。事務所の地図が見えにくい。中文教室でノートをとっていても自分の書いた文字が見えにくい。かといってたとえばスマホの文字サイズを拡大しようとか思わない。そこで、眼鏡をはずすか、ハズキルーペの世話になるかという次第だ。自宅と事務所と1個ずつある。この年齢で老視がこんなにもすすんだか、という侘しい気持ちがないわけではない。が、自己の身体の老いは、絶対的なものとして感じられるよりはるかに、相対的なものとして感じる。あの人も、その人もそうじゃないか、こちらはこんなもんです、誰もが侘しいのだなあ。と、そこに妙な親密の感情が湧いてくる。私の所属している業界青年会の中でも、近くの文字を追う際、老視ゆえにくいっと眼鏡を額にずらす輩を何人も見るが、先日の金沢旅行でこんなことがあった。深夜、真っ暗な部屋に戻った私が洗面所に行き電灯を点けると、カランの脇のコップが水で満たされ、内部にピンクの物体が浸かっている。顔を近づけると、それはほとんどコップの縁に届くくらいの大きさがある入れ歯だった。私と同部屋の3人は皆先輩で、状況から最年長54歳のTさんのものだと知れた。夏場でも常にオーダーメイドのジャケットやブレザーを纏い、糊のきいたシャツを着て、指には黄金の指輪を嵌め、髪は黒々としたTさんでもこんなでかい入れ歯を装着しているんだ、とその時思わず笑みがこぼれ、私はTさんにより一層の親密さを覚えた。私も自分の歯ではあるけれど、珈琲や茶で着色されてこんなもんです、と鏡に向かってにっと顔をつくった。