川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

秋の日はつるべ落とし

Hさんから西川口の用事で遅くなる旨連絡があったので、スーパーで総菜を買い、昼の残りのパンプキンスープと合わせて15分で食い終わると、なぜかウイスキーを飲み始めてしまい、いかんいかん順序が逆だと、それからウォーキングに繰り出した。川沿いの土手を歩くと、ふわふわとちょっと気持ちよく、ウイスキーウォーキング、癖になるかも。あくまでいちにんでやる時。

f:id:guangtailang:20211005183558j:image秋の日はつるべ落とし。この言葉のイメージが好きだから隙あらば使いたい。先日Mの前で使い、どうゆう意味かと訊かれたので答えた。井戸の中へ釣瓶が滑り落ちてゆく、そんな速度で日が暮れる。建物を出るとついさっきまで明るかったのにもうこんなに昏い。誰もが納得する鮮やかなイメージだと思うのだ。あと、禍福は糾える縄の如し、というのも好きだ。これも卓抜なイメージを有していると思う。富田林出身のJが好きなのが、人間万事塞翁が馬で、わたしも好きである。ただ、あんまりこの手のことわざ、俚諺の類をひけらかすようだと、「うるさいよ、薄毛野郎」とインスタ映えを狙う少女のような人にどやされてしまうので、気をつけなきゃいけない。あと、一個思い出した。Mに童顔だよねと言えば、「丸顔だからね。それでそう見えるんじゃない」と返されたのだが、幕末の志士のひとり、長州藩高杉晋作の顔が面長過ぎて、乗った人より馬が丸顔、というのがあった。うまい。幕末でいえば長岡藩の河井継之助も、遊郭の常連であったのにもかかわらず、掌返しで遊郭禁止令を出して、かわいかわいと今朝まで思い 今は愛想もつきのすけ、と歌われたの歌った人がうまい。

f:id:guangtailang:20211006090021j:image松浦寿輝「別のプラットフォームへ」