『順子わななく』(武田一成・1978)をFANZA動画で。この監督はロマンポルノを超えてもっと知られていいと思うのだが、Wikipediaの頁もつくられていないし、FANZA動画やDVD等で観られる作品もそれほど多くはない。好きな監督だけに残念なことだ。最近、阿佐ヶ谷のミニシアターで一般映画の『先生のつうしんぼ』(1977)をやっていたらしいが、いろんなかたちでもっと観られるようにしてほしい。
クリント・イーストウッドと同じ1930年生まれだが、まだ健在だろうか。昔、武田が講師をしていた映画学校で生徒だった人(現在は脚本家)が書いた文章をたまたま読んだが、武田の指導は相当に、理不尽と言っていいほど厳しかったらしく、赤鬼とか閻魔とか呼んでいる(無論、文章上で)。武田の映画を観れば、なるほど妥協を許さないのはわかるが、観て明らかに駄作と思ったものは一個もない。件の生徒らが疲労困憊の末に書き上げた原稿を武田の家に持っていくと、おまえら、パン食うか?と大声で言い、白いパンを持ってきて、さっさと帰ってしまった武田こそ映画である。
『順子わななく』の前に『性処女 ひと夏の経験』(蔵原惟二・1976)を観たのだが、映画の出来がまるで違うと思った。武田は音楽の使い方もうまい。玉石混合のロマンポルノである。
この隅田川の風景は実になじみ深い。僕の記憶装置に蓄えられているすべての風景の中で、もっとも多いものがこれかも知れない。上野、浅草、尾久、そして隅田川。この映画にはちょっとたじろぐくらい、なじみ深い景色ばかりが出てくる。1978年だから、よちよち歩きの僕が存在していたはずだ。
武知杜代子が下町のばあさまのいい味を出している。台東区下谷の生まれらしいから地で行っているのだろう。宮下順子は役名が花村宮子だが、順子わななく。全編、和服でしっとりしている。
魚河岸で働く旦那、殿山泰司。路地奥の長屋にて。おもしろい渡り廊下がある。
鮨屋とその恋人。桐谷夏子。映画出演は3作しかない。
これは言問橋の袂じゃないか。ベースは変わってないからわかる。ただ、42年後、向こう岸にはスカイツリーがどーんだ。
待ち伏せる痩身の桐谷。
それをこうゆう風に撮る。下町のごちゃごちゃ狭苦しい感じを使って効果的に。劇中、宮下が荒川都電を宮ノ前停留所で降りる場面が数回出てくるのだが、監督の出身が尾久なのである。
鮨屋のカウンターで昔の男と面と向かう。
一盃飲み屋でひとり酒を呷る。当然に酔客がちょっかいを出してくる。
仲見世の裏手。雷門方面に向かって。
『官能のプログラム・ピクチュア ロマンポルノ 1971‐1982 全映画』(フィルムアート社)より。ピクチャーじゃない、ピクチュアなんである。関係ないが、中国語普通話のyingの発話、イングじゃない、強いて言うならイヤンなんである。
白いニット帽の男が監督かと思ってしまうが、グレート義太夫の左隣りが武田なんである。寒そうな三宅島。『官能のプログラム・ピクチュア ロマンポルノ 1971‐1982 全映画』(フィルムアート社)より。