川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

場違い

雨上がりの上野を歩き、中国料理店へ。ここでHさんの仕事仲間Lさんと待ち合わせ。3人で昼飯。Lさんは常連らしく、彼女がささっと注文して、出てきたものを食べる。長春出身で標準的な普通話を喋り、また鈴を転がすような声なので、個人的にびんびんくる。

f:id:guangtailang:20180624182857j:imagef:id:guangtailang:20180624182912j:image辣さを中和するための椰奶(イエナイ)。

f:id:guangtailang:20180624182929j:image餃子が来た時に思い出したが、この店は6年位前に、当時中国語の手ほどきをしてくれた雪駄を履いたエスイーのJ氏と来店したことがある。奥のスペースの壁に「好吃不过饺子」とあるはずだ。わざわざ確認まではしなかったが。

f:id:guangtailang:20180624182940j:image入口附近の座席だったので、強い陽光に照らされ始めた六月の濡れた路上を眺めながら、口水鸡(よだれ鶏)を、とりわけ私がむしゃむしゃ食べる。

f:id:guangtailang:20180624182953j:image辣さを中和するための珍珠奶茶(タピオカミルクティ)。

f:id:guangtailang:20180624183011j:image飯を食べ終わり、本日の会場に移動する。

f:id:guangtailang:20180624183028j:imagef:id:guangtailang:20180624183039j:imagef:id:guangtailang:20180624183130j:imageてっきり普通話の発音講座かと思って来たが(Hさんからの情報がそうだったので)、実際は似ても似つかぬもので、詩を愛好する中国人たちの集まりだった。しかも、20年位前にNHKの番組に出ていたという50年輩の男の老師と、その隣りにも中年の女の老師が座って、かなり本格的なものだった。漢詩だから、ほとんど唐詩を詠み上げるということなのだが、皆さん実に詠歎的に表現し、老師の講評もアカデミックで、詩でも何でもない家事分担の短い文章しか用意していない私は場違いを感じた。順番が廻ってきて、登壇し、読み、実際、場違いだった。日本語の詩で何か詠めないか、と女の老師に言われたが、何も思いつかなかったし、そんな気分じゃなかった。受講生はナンファンレンどころか、天津や北京などベイファンレンがかなりいた。Hさんに至っては用意がないと言って、登壇も拒んだ。この「朗诵会(ランソンホイ)」なるもの、ハードルが高過ぎて、次回はもう無いと思いながら、別の用事で会場に残るHさんを置いて、帰路に就いた。

【追記】

後日、ブログを読んだJ氏から「好吃不过饺子」(餃子に勝るうまいものはない)当日の照片(写真)が送られてきた。こんな紙っぺらだったのか。てっきり壁に直に書きつけられているものと思っていた。屹立する白酒のラヴェルには「五粮醇」とあるが、「五粮液」のなんか姉妹品みたいなやつかしら。水餃子はまだテーブルに載っていない。己の容貌の変化に、そっと「壮年の衰え」を足す。

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