毎日スムースに排便できること、自転車に乗れること。痔核根治術を受けた後ではこれらが当たり前じゃないのだと常に肛門に感謝しています。ひとは誰しも躰のどこかを故障して、その状態が深刻であればあるほど、何も異常のなかった時のありがたみを知るものです。
それでも錦糸町まで自転車で行くというのはやや果敢さを必要としましたが、モモさんと遊んで以来、その近さを認識したHさんが乗り気なのと、先生からもゴーサインは出ていたので、サドルに跨りました。
なるべく信号に引っかかりたくないからと、錦糸町まで川沿いの公園や親水公園を通っていきました。到着後、念のためモモさんに連絡するも鼻の調子が悪いので今日はパスとのこと。するとHさんが亀戸の知り合いの店で軽食を出すというので、時間的にも食事することにしました。それにしても亀戸の知り合いとは初耳です。言い方はアレですが、彼女の知り合いというのは急に湧いてくる感すらあります。
目と鼻の先なのに道を間違えてしまったわたしは「亀戸(グィフ)はもう5年も6年も来ていない」と後ろを振り返りながら言い訳し、「運動、運動(ユィンドン、ユィンドン)。腹が減ってちょうどいいでしょ」と開き直りながら来た道を戻りました。
Hさんに導かれるままアーケード街から脇道に入り、自転車を駐め、商店街を歩いていくと、中国人の経営とおぼしき物産店や飲食店が目につきます。なるほど、亀戸も今はこうゆう街かと思いました。錦糸町に比べると駅近でも家賃が安くて借りやすいのかな。日本の商店もいかにも安い手書きの値札を並べています。彼女は右側の一軒にするりと入店すると、所狭しと並べてあるステンレス盆に乗った茶色い塊について厨房に顔を突っ込んでいろいろ訊ねています。牛筋(ニュウジン)でいいかと店頭のわたしを振り返るから、ニュウジンでいい、あと芹菜饺子(チンツァイジャオズ)と答えます。
裏に回って、と厨房の女性に言われ、従うとそこには殺風景なイートインスペースがありました。この雰囲気が現地感があってたまらない。日本のポスターとかビールケースとかあるのですが、それでもここが亀戸ではなく大陸の陋巷の片隅とひととき空想したい。この場に相応しいよう、喉を潤すよう王老吉(ワンラオジー)を注文します。さらに羊肉串(ヤンロウチュアン)を3串注文。Hさんが厨房に頭を突っ込みながら冷凍だけど、と言いいますがだってぼくちん今食べたいのだもの。
殺風景なイートインに入った時から空いたテーブルで携帯のゲームをやっている小学校低学年くらいの男の子がいるのですが、おもむろにHさんが話しかけます。何歳? 7歳だよ。わたしのこと覚えてる? まだ小さかったからわからないかな。澳门(アオメン マカオ)でお母さんと一緒にいたでしょ。うーんと、ああ、思い出したよ。おばさんのこと知ってるよ! なるほど、仕事上の何かで彼女がマカオに行ったあの時に知り合ったひとの店かとわたしは合点がいきます。帰り際、Hさんの朋友だと思っていたわたしが夫だとわかり、そのお母さんが厨房から出てきました。このひとは福建人、椰奶(イェナイ ココナッツ飲料)を買いに寄った物産展のおばさんも福建でした。
錦糸町に戻り、口の中が脂っこいということで、カフェにて彼女はブルーベリーケーキセット、わたしはダッチコーヒー。広い店内から駅のプラットホームが眺められます。