2010年5月3日、酒田市。窓の向うに船が見えるから港の海鮮市場で食べたのだろう。丼の後ろの小鉢に烏賊の塩辛が入っているのだが、これが私の食べた塩辛の中で最強に塩辛かった。今でもめざましくあの塩辛さを思い出す。あとで調べてみると、「飛島の塩辛」という名産品があるらしい。これは一般的な塩辛とは違う。もしかしたらこれを食べたのかも。
この2年ほど前に酒田でロケした映画『おくりびと』(2008)が公開され、話題になっていたが、それとは関係なく行ったと思う。鶴岡の加茂水族館に行かなかったことが今でも心残りである。
2018年4月27日【追記】
『おくりびと』のブームと関係なく、なぜ酒田に行ったのか、思い出した。実はこの時、酒田だけでなく鶴岡にも泊っており、つまりは庄内地方を目指して旅をしたのだ。当時、幕末の長岡藩・河井継之助について調べていた私は、薩長を軸とする新政府軍と勇猛果敢に戦ったいまひとつの藩があることを知った。それが庄内藩だった。会津、米沢、仙台藩など東北雄藩がどこも旧式の武備しかないなか、庄内藩は長岡藩同様に近代化された軍隊を持っていた。また、長岡が焦土と化したのとは対照的に、庄内藩は新政府軍を領内に入れなかった。それはすごい、行ってみたいなと私は思ったのだ。
新政府軍の前に列藩同盟が瓦解したため、最後に庄内藩も恭順した。三田の薩摩藩邸焼き討ちの主力だった庄内藩だが、西郷の意向で、比較的軽い処分で済んだ。それで庄内地方で西郷は敬愛され、明治期に入って、『南洲翁遺訓』が旧庄内藩士によって編纂された。
そういう戊辰戦争に纏わる場所に当然行ったはずなのだが、鶴岡で撮った写真が見つからない。それが不思議だ。