川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

小千谷談判

f:id:guangtailang:20170805095745j:plainf:id:guangtailang:20180316131524j:plainf:id:guangtailang:20180316131656j:plainf:id:guangtailang:20170805095922j:plainf:id:guangtailang:20180316130857j:plainf:id:guangtailang:20170805100100j:plain小千谷市慈眼寺。慶応4年(1868年)、薩長を主力とする新政府軍は長岡にほど近い小千谷を占領した。長岡藩の門閥家老たちが次々と恭順を主張する中、5月2日、河井継之助は長岡への侵攻の中止と独立特行を主張するべく慈眼寺で新政府軍との会談を行う。

会談は30分で決裂した。相手は岩村精一郎。会津藩を説得するという河井の嘆願を、岩村は時間稼ぎと一蹴した。これにて北越戦争の火蓋は切って落とされる。この時、河井42歳、岩村24歳である。

河井も毀誉褒貶をもって語られる人物だが、この時の岩村は若過ぎた。さらに長州から「キョロマ」とあだ名されるような小人物だった。人間の練れている山縣有朋黒田清隆が相手だったなら会談の結果は違ったかも知れないという意見もあるが、ただ当時、河井の主張が突飛だったことも間違いない。また、人柄から考えて、河井は相当アグレッシヴな態度で交渉しただろう。

後年、岩村は自伝の中で、進軍の過程で恭順した信州各藩の家老たちが平凡な人物ばかりだったので、河井もその類だと思ったというようなことを言っている。

その時その場所で、人と人の出会いは宿命であるなあ。