川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

リライト

昨晩デスクの抽斗をがさごそやっていると、奥の方から7年前に書いた文章が出てきた。A4のコピー用紙4枚。題名「新潟 ジョロウグモのいる小径」。平成22年9月25日と細かい日付まで入っている。月1ペースで新潟の中越地方に通っていた時期だ。この頃もこんな風に自己満足で文章を書き散らしていたのだな。そして、たまには大学時代の親友に送り付けたりもしていた。まことに迷惑な話だ。当時、ブログが人口に膾炙していたかどうか、こうしてブログに載せている方がまだしも勘弁してもらえるだろう。

梅酒のグラスを片手に、そのまま読み始めた。たしかにこれは自分の文章だと思いながらも、今ならこうは書かない、さらにこれは他人の文章ではないかと思う箇所もあった。これはちょっと面白い経験である。そういうわけで、現在の眼と感覚でリライトしてみようと考えた。原文の意味内容を損ねることなく。

 

「新潟 ジョロウグモのいる小径」

3度目の小千谷に到って、初めて山本山に登ってみようと考えた。336mの低山だが、遮るものの無い山頂からは越後三山が望め、眼下には蛇行しながら悠然と流れる信濃川が見渡せる。

発電所の調整池の辺りでタクシーを降り、運転手に言われた通りに舗装された道を上ることにした。アスファルト道路はクルマでも山頂まで行けることを示している。この地域も6年前の中越地震で被災したと聞いていたが、今、周囲にその痕跡は感じられなかった。時刻は午後2時前で、暑くはなく、爽やかな風が吹いていた。澄んだ秋空をトンボが舞う。リュックサックを揺らしながら私は上っていった。

後方からエンジン音が聞こえ、私のすぐ脇をクルマが追い越した。そしてまた秋の虫の音と風に木の葉が揺れる音だけになった。途中、いきなり視界がひらけて信濃川と平野に点在する家屋、黄色い田んぼが見渡せた。のどかなハイキングと思っていたが、30分も上ると額と背中に汗が流れた。タオルを忘れたので、指で汗を拭いながら歩を進めるうち、不思議なことに人の歌声、それに伴ってエレクトリックな音が山頂の方からかすかに響いてくるようだった。それは山頂に近づくほどはっきりと聞こえ始めた。エンジン音とともに2、3台のクルマに追い越され、その助手席にドレッドヘアの若者、後部座席に腕にタトゥーを彫っている若者をみとめた。そうか、さては山頂で野外ライヴをやっているなと合点がいった。

あと少し、このままアスファルト道路を上り切れば山頂だろうという頃、左側にひろがる雑木林(ざつぼくりん)、そのとば口に立つ案内板に「遊歩道」という文字をみとめた。この草むらのなかの道を進んでもすぐに山頂に出るだろう。今まで味気ないアスファルトを踏んできたのだ、せっかくだからここから先は遊歩道を歩いてやろう。そんな意気に駆られた私はずんずんと草むらに入っていった。そのあいだも絶えず歌詞の判然としない歌声、エレクトリックな音が耳朶を叩いていた。遊歩道は奥に行くほど鬱蒼としてきた。木立のなかを進むと、しばらく人の手が入っていないのが分かった。靴は土で汚れ始めたが、落ち葉や小枝を踏みしめるたび、私は快い野性を取得している気がした。

いきなりクモの巣に引っかかった。顔に張りついた糸を指で拭うと、5mも進まぬうちにまた引っかかった。指で拭う。辺りを見廻すと、折り重なる樹木の幹と幹、枝と枝のあいだに夥しいクモの巣が張られていた。そして透明な網の中央附近で、2~3cmほどの体長に黒と黄のボーダー模様の長い脚を持ったジョロウグモが静かに浮いていた。糸は木洩陽に輝き、美しいともみえた。しかしながら只今の問題は、このクモの巣の小道をこのまま進むか、あるいは引き返すか、であった。身体中に粘性のあるクモの糸が張りついては今後の旅程にも支障をきたす。私にとってクモは嫌いな昆虫ではなかった。害虫というイメージは全然無く、意志的に殺生したこともなかった。ジョロウグモは微量ながら毒を持っているらしいが、人が噛まれても問題にならない程度だという。

しばらく観察していて気がついた。網は地面から上方1m附近の空間まではほぼ張られていないのだ。ということは中腰で進めば網に引っかかる可能性は低い。私は退却の選択肢を振り切るように、しゃがんで一歩を踏み出した。10数mも進むと足腰に堪えた。が、髪や衣服を点検してみて糸の張りついた形跡は見当たらない。さらに中腰で進んだ。足腰にくると小休憩をはさんだ。後ろを振り返り、触れなかった金色に輝く糸を見た。それを繰り返すうち、山頂の歌声が聴きとれるようになった。「雨に濡れたきみの~」とかなんとかメロウな曲のようだ。エレクトリックベースの刻む野太いリズムも響いてくる。しゃがんで歩を進めようとした瞬間、私は驚くべき光景を目にした。

今、私がいる地点。前方が急勾配になっており、その先がおそらく頂上だ。しゃがんだ視線の先に夥しいジョロウグモの網が光っていた。見上げるとさらに重なり合うように網、網、網。まるで罠のように。今までの道程はほんの小手調べ、ここからがクライマックス。私は茫然としながらも、数年前に初めて新潟市に行った時の記憶を蘇らせ、この苦境を脱するヒントを得ようとしていた。

人口80万余の港湾都市新潟には、日本海沿岸に全長5kmにわたりクロマツニセアカシアなどの防風林で形成された西海岸公園がある。夏の夕刻、古町をそぞろ歩いていた私は急に海が見たくなり、公園を突っ切って浜辺に到ろうと林に入っていった。すると煤けた案内板があり、「坂口安吾の碑」とある。学生時代に安吾のユニークな反逆性に多少なりとも魅了されたことのある私は、碑を見てみたい気持ちが起こった。日没までにはまだ時間がありそうで、案内板の簡易地図をたのみに碑を探し始めた。ところがちっとも見つからない。そして小径で頭からクモの網をかぶった。めちゃくちゃに頭を振ると立派なジョロウグモが落ちて、せわしなく脚を動かしながら林のなかに消えた。髪に引っついた糸を何度も手で払い、それでも取り切れず、安吾碑どころではなくなった。独りで呻き声をあげた。その時、足元に転がる長細い枝をみとめた。閃きがあった。この枝に糸を巻きつけたらどうか。腕や肩口にへばりついた糸で試してみた。見事に糸はからめとられ、黄ばんだ塊となった。髪や顔の糸も枝に巻くと面白いようにとれた。

山本山の遊歩道という名のけもの道にも、勿論枝は転がっていた。しかも手頃な長さのものを眼前に発見した。例えるなら竹刀くらいの長さ。それの端を握り、前方の網に突っ込んで円を描くと見る間に糸が巻きついていく。その動作をつづけながら進む。土の上に落ちたジョロウグモを細心の注意で避けながら、私は斜面を登っていった。円を描く動作だけでは高く低く無数に張られた網をすべて取り切ることは困難で、途中から8の字を描く運動に変えた。はたから見れば気の触れた剣士のようだろう。振り回す枝に一度乗っかって、それから逃げていくクモも何匹かいた。手に異変を感じ、見るとどこかの枝に引っ掛けたらしく手の甲の皮膚がやぶれ、血が流れていた。舌で拭った。切なげに歌い上げるヴォーカル、耳朶を打つエレクトリックビートは、その歌詞に関係なく、奮闘する私を激励しているようにその時思えた。

頂上に出た時、私は汗と泥にまみれていた。雲の隙間から西日が射し込み、左方に鎮座する碑をオレンジ色に照らしていた。枝を投げ捨て、私は脱力した。ちょうど野外ライヴ会場の上手に立っているかっこうだった。ライヴはこじんまりとした規模で、客もまばら、20代とおぼしき男女の多くは地べたに座っていた。皆、クルマで苦も無く上ってきたのだ。眼前に白いキャンピングカーが駐まっており、居住部の半開きのドアから内部が覗けたが、人の気配は無く、飲み食いした跡の瓶や皿だけがあった。この場所で聴く歌はジョロウグモのいる小径で聞こえてきたものより憂いを帯びておらず、青い果物が弾けているような感じだった。曲が変ったのかもしれない。右方に展望台があったので上ってみた。が、そこはすでに重厚なカメラを三脚に固定した初老の男たちに占拠されており、彼らの気合いに見るものも見ず私は退散した。

碑はこの土地で生まれ育った詩人のもので、壮大で趣きのある詩の一節が刻まれていた。展望台に上らずとも頂上の原っぱのあちこちで風光明媚な景色が望めるのだった。

 山あり河あり

 暁と夕陽とが

 綴れ織る

 この美しき野に

 しばし遊ぶは

 永遠にめぐる

 地上に残る

 偉大な歴史

        西脇順三郎

 

小千谷山本山の話はこれで終わりである。が、さらにふたつのエピソードを付け加えることを許してほしい。ひとつはこのあとに行った長岡の県立歴史博物館で敷地内にある遊歩道を散策していて、またぞろジョロウグモの巣に引っかかったこと。見た目が整備された道なので油断した。もうひとつは帰りの新幹線の車窓からブラッディオレンジジュースのような滴る夕陽を眺められたこと。涙ぐましい鮮やかさだった。

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